五
それじゃあ、また今度。
よくある別れの言葉を聞いて、晴弘は一つ息を吐いた。あの子がわざわざここへやってきたのはこのためらしい。実に律儀なことである。
晴弘の頼み事、というだけで、それなりに大事な用らしいと気を利かせてくれたらしい。確かに晴弘はめったに人に頼み事をしない。そうする必要が無いのもあったし、必要以上に人と深いつながりをもちたくないからでもあった。
「幸福映しの灯籠……」
「怪異の名前だよ。君らツクモや妖精とは違って、どっちかと言えば現象に近い」
「それを探してたのか」
「まあね。君も来るかい? 別に危険も無いし」
晴弘は苦笑にも似た笑みを浮かべて孫六を誘ってみた。どうせ断られるだろう、と踏んでいたのだが、意外なことに、刀の付喪神は眉間にしわを寄せて考え込んでいる。
何か思うところでもあったのだろうか。この付喪神と出会ってからをざっと思い出したが、別に思い当たる節は無い。強いて言えば、頑なに、と形容できるくらいには廃れた神社に寄る悪い物を切り払っていたくらいだ。
だが、それと晴弘の探しものが結びつく要素は無い。
「どういう現象なんだ、それ」
浅葱色の目が、僅かに揺れているように思えた。
幸福映しの灯籠、とは現象に近い怪異である。言ってしまえば学校の怪談に近い。特定の条件を満たすことで現れる、現代の科学では解き明かすことの出来ない神秘の一つだ。
晴弘が探していたそれは、人の望みを映すといわれる装置だ。幸福映しの灯籠は、とある灯籠の前に強い未練を抱いたものが立つと、そのものの望みを映し出してくれるという。
――決して叶うことのない望みを、だ。
「『幸福映しの灯籠』に映った『幸福』は、そのものの望みで希望で、未練そのものだ。そして、一度映ればそれは二度と――いや、逆か。二度と叶わない、決してかなえることの出来ない『幸福』だけが映し出される」
「聞くだけ聞くと、なんていうか……現実逃避じみてるように聞こえるが」
「実際そうだろうねえ。ほとんどの場合、『幸福映しの灯籠』の前に立った人間は生きて帰ってこない」
孫六の眉間のしわが深くなってから、ああ、と頷いた。勘違いをしているらしい。
「動けなくなるのさ。『幸福』を逃したくなくて」
あかり、あかり、あかりを探す。
暗い夜道にぽつりと浮かぶ、暖かな明かりを。
見つけて探して、その前に立ってみれば、叶わぬ『幸福』を与えてくれる。
まやかしでも良いというのであればすがりなされ。
偽りでも良いというのであれば乞いなされ。
『幸福映しの灯籠』という怪異は、そういう装置だ。そこに悪意はないし、『幸福映しの灯籠』に意思はない。無論、『幸福』を見るものを食らう、等という物騒な習性もない。
「とはいえ、アレの前に死体が積み重なるもんだから、それを狙う野生動物とか、怪異とか、まあまあ居るんだけど」
「そういうのを危険地帯と言うんだ」
「死体漁りでぬくぬくしてる連中だぞ? それなりの腕前があれば大丈夫さ」
もっと言えば、生きている間は食われない。襲われない。『幸福映しの灯籠』とは、その前に立つ限り『叶わない幸福を与え続ける』怪異だからだ。生きてその前に立つ限り、その『幸福』が終わることは無い。
無論、全て幻想だ。
だからこそ意味がある。
「決して叶わない『幸福』か。面白い話だな」
「面白いかー? 割と悪趣味な部類の怪異なんだけど」
「ああ。そこに映る『幸福』とやらは、決して叶わないんだろう?」
未来を見ているようじゃ無いか、と孫六はくつくつと喉奥を鳴らして笑った。それに対して特に不快感は覚えなかったが、代わりに少しだけ驚いた。
随分と聡い。勘が良いと称するべきか。
「この国だからね、そういう類の怪異は一定数在るんだ」
「……んん、もしかして適当言ったのが当たったのか」
「大正解も大正解だとも。『幸福映しの灯籠』は、そいつの因果を見て、決して交わることの無いものを選んで見せる。そういう怪異だ」
消極的かつ極めて高精度な未来視とも言えるだろうか。
灯籠の前に立った者に対して、決して交わらない未来だけを選んで映し出すということは、逆を言えば「映った未来は確実に実現しない」ということでもある。
決して実現しない幸福を目の前にしてしまうからこそ、縋り、乞い、願い――そして絶望する。現実にはなり得ない幸福をまざまざと突きつけられた時、抱く感情はほとんどの場合はそんなところだろう。
だが、もちろんそれだけでは無い。
ほとんどの怪異は崩すことが出来る。余程強固な怪異でも無い限り、その現象が二度と発生しないように封じるなり壊すなりすることは容易い。
それがこわされていない、ということは、つまり『幸福映しの灯籠』は有用である場合もある、ということだ。
「ついてくる?」
だからこそ、晴弘は『幸福映しの灯籠』に用がある。
興味を持った、ということは、この付喪神も何か思うところがあるのだろう。
「そうだなあ……」
浅葱色の目はかすかに揺れている。遠くを見つめるような、届かないものに縋るような、寂しい色を浮かべていた。
「……よし、俺も行こう」
そうしてほんの少しだけ悩んだ後、刀の付喪神はそういった。

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