Fate/Abendrot – 13

監督役と術陣営の話。話を……たたむ……!たたむ……!

とある人の昔話

 昔の話をしよう。
 その男は……いや女は……性別はどうでもいいのだが、とにかくとある人間がいた。どういうわけか年を取らず、倫理観は人を外れ、されど本能は人のまま。要は怪物だ。
 現在の話をしよう。
 そいつは、そうやって人の世を漂う中、とある人間と出会った。幽鬼のような様相で、されど希望を捨てきれていない、奇妙で難儀な人間だった。
 そいつは人間に尋ねた。何故そのような形で生きているのか、と。人間は答えなかった。そいつは懲りずに尋ね続けた。何故無駄だと分かってなお、手を伸ばすのか。何故自ら終着点を見つけようとしないのか。あるいは目指すべきものがあるから手放せないのか。そして尋ね続けた末に、人間はやっとの事で口を開いた。
「信じたものが誤りであるのならば。正さなければならない」
「それは、何故?」
「誤りであってはならないからだ。嘘であってはならないからだ。存在しないものであってはならないからだ」
 その人間は狂ったように繰り返す。そうあってはならない、と。
「何が必要だったのです?」
 昏い昏い青い目。光の無い目だ。くすんだ金色の髪は所々鉄さびのような赤がこびりついている。星さえ見えない曇りの日の夜だった。どこかでドンパチやってきたのか、衣服は酷く破損しており、破れた布の隙間から覗く腕もまた酷い有り様であった。
 その人間は口を開く。酷く単純で明快で、なるほど確かに存在し得ない二文字の概念を。
「正義」
 なるほど、と頷いた。ぱちぱち、と乾いた拍手の音が響く。人間の表情は変わらない。致命的な何かが壊れきってしまったようだ。まるで壊れたおもちゃのよう。
「なるほど、なるほど。それは確かに、存在しなくてはなりませんが、存在はし得ないものです。ですが、はて、不思議なものです。似たような事をほざいていた人間を知っているのですが、彼はとうに諦めたと聞いています。恐らく折れた理由は似たり寄ったりでしょう。何故、貴方は折れないのです?」
「――似て、いる?」
 そこで、ようやくぴくりと人間の眉が動いた。ずるずると足を引きずっている。明らかに満身創痍の様相だというのに、何故か倒れる気配は微塵もない。
「似て――……などいるものか。似てなどいるものか。ああ、おれは、みずから、しんじたものを、こわして、こわれて、はは、ははははは! 何も為せないやつが、どうして私を理解できる! 何が同じだと、何が同じだ――!」
 掠れた吐露に首をかしげた。はてそこまでおかしな事を聞いただろうか、という疑問。影の中から幽霊のように白い子供が現れると、人間を守るように間に立った。いじわるね、と呆れた声に目を瞬かせる。
「もうとっくにつかれきってるのよ、あたしたち。お兄さん、ようはそれだけなの?」
「ああ、失礼しました。つい好奇心を優先してしまう悪癖は何年経っても直らないものです」
 そこで、やっと目的を思い出す。
 キャスターとそのサーヴァントに近づいた理由を。腕をまくり、素肌をさらす。
「一つ、提案をしましょう。何を隠そう、私も似たような目標がありましてね。この余剰令呪をお渡しします」
 煌々と輝いているかのように錯覚させる、赤く不完全な幾何学模様が複数腕に浮かんでいる。流れる魔力は明らかに常軌を逸していた。紛れもなく、令呪である。
 人間は昏い目を軽く見開くと、ためらいも無く頷いた。
「ほんとうにひどいんだから。ふん……おじさまだって、もうたたかうひつようなんて、ないのにね」
「選んだのは、そこのマスターですよ」
「べーっだ! むずかしいこといってごまかす大人なんて、だいっきらいよ、あたし!」

*

 息苦しそうに寝ているマスターの姿を見やって、それから霊体化を解除する。寝ている以上は護衛が必要だ。聖杯戦争においては、サーヴァントを殺すよりもマスターを殺した方が早いのだから。
 それにしても、と回想する。本当に酷い顔だったな、と息を吐いた。
 サーヴァントは夢を見ない。それであるにも関わらず、待機中に目を閉じた際に見えるあの光景は――過去の記憶整理としての夢などでは無く、どちらかと言えば魔力パスを通じて流れ込んでしまうマスターの根源そのものだろう。
 どうしようもない無力感、諦観、絶望、それから未だ手放せない淡い希望。それらをぐちゃぐちゃにかき混ぜて、手放したくて仕方がないくせに、怒りと罪悪感で吐き出しそうになりながら、ずっと今まで歩いている。
 ケイが人らしく成長して、当たり前に変わりゆくことを望んでいる。心から。それを願えてしまうのが龍童令という人間の美徳で、そして苦しいところだ、とランサーは思っている。憎めりゃ楽だったでしょうに、とは言わない。言う必要も無い。
「あ、どうぞ」
「こ、こんばんはー……」
 ノックの音で顔を上げた。招くように声をかければ、ゆっくりとドアノブが回って、そろりとケイが顔を出してきた。
「えっと、報告した方が良いかなって来たんだけど」
 子供のように丸まって背を向けて寝ている男へ視線を落として、後の方がよさげかな、と酷く言いづらそうにもごもごと手を胸の前で遊ばせている。
「キャスターとの接敵の事ですかね。それともアーチャー陣営との交流の話すか?」
「……やっぱり知ってた?」
「そりゃあそうでしょう。俺たちが普段何していると思ってるんです」
「で、ですよねー」
 へへ、と気まずさを隠すようにケイが後頭部を掻いているが、退室する気配はない。ランサーが指摘したことは確かに報告したいことの一つではあったのだろうが、それ以外にもあるらしい。
 もちろん心当たりくらいはある。前触れも無く使用した謎の魔術のこととか、キャスターのマスターの豹変とか、色々。確かに起きたことは少なくとも龍童が一部始終を見ていたので知ってはいるのだが、遠くから眺めているだけだったので子細は分からない。もっと言えば、ランサーが合流したのは事が起こった少し後だ。なおさら詳細は分からなかった。
 後ろで寝ているマスターへ目を向ける。先ほどと変わらない酷い顔のまま目を閉じている。起きる気配はなかった。
「それなら後にしてもらっても良いですかね。俺に話してもらってもいいっちゃいいんですけど、まああくまでサーヴァントなんで」
 余程参っているか、疲れているかのどちらかだろうな、と目を向けた。元来警戒心が強いのか、下手をするとランサーが霊体化を解除しただけで目が覚めるような人間だ。ケイが来た上にお喋りまでしているのに目が覚めないのだからそういうことだ。おそらくは、精神的にかなり参っているのだろう。
 ケイは少しだけ面食らったように黙り込むと、それから納得したように頷いた。それじゃあ明日話すね、と執心の挨拶と共に退室した。
 とんとん、と階段を降りる音に耳を澄ませる。一人分の音だ。そうしてその音が無くなったくらいに、部屋の隅へ目を向けた。
「それで? 用があるから残ってるんだろ、あんた」
「まあこわい。きしさまだったら、もうすこししんしてきにきいてくれるのにね」
「生憎こちとら育ちの悪い田舎者なもんで。騎士でも無ければ武士でも無い。そういうお行儀の良さは求めないこった」
「ふふ、いいわ。いいのよ。ごめんなさい、あたしのほうがいじわるだったわ?」
 するりとキャスターが姿を現す。思っていたよりも話が通じるな、と思った。マスターへ目を向けたが相変わらず眠っている。生命活動に異常は無い。直につながれた魔力パスは、通常のそれよりも余程鮮明にマスターの状況をランサーへ伝えてきていた。
 キャスターは、やはりただの子供のような形をして、すとんと近くにあった丸椅子に腰をかけた。背が足りておらず、足が宙に浮いている。
 先に戦闘をしたとき、あるいはケイらとの戦闘を観察していたときを鑑みると随分と大人しく思える。もっと話の通じない、いかにも人外めいたサーヴァントかと思っていたのだが、そうでもないらしかった。
 まあ、バーサーカーらしからぬ理性を有しているバーサーカーがいるのだから今更だろう。そもそもが過去の英霊を引っ張り出してくるなどと言うインチキをしているのだ。何が起こったとておかしくは無い、とランサーは考えている。
「きょうはね、あなたたちにおねがいがあってきたのよ。きいてくれるかしら」
「敵にお願いすか。はは、随分と脳天気っつーか……」
 ぷらぷらと足を遊ばせながらキャスターが桃色の目をランサーへ向けて、それから龍童へ視線を移す。寂しそうな表情だ、と思った。
「あんた、マスターはどうしたんだ」
 そこで、くすぶっていた疑念をぶつけた。マスターとサーヴァントは基本離れて行動することは無い。マスターから離れるほどサーヴァントへの魔力供給は困難になるし、サーヴァントから離れるほどマスターの危険は指数関数的に上昇するからだ。
 特に、この主従は互いが互いに酷く依存している、とランサーは見ていた。どちらかと言えば、マスターがキャスターに依存しているとみるべきだろうが。
 そう尋ねれば、キャスターは穏やかな表情をみるみるうちに怒りに染め上げて、実に子供らしく頬を膨らませてそっぽを向いた。
「……ふん! しらないっ、しらないんだから、もう! あたし、ちゃんととめたのよ、もういいのよっていってあげたのに――なのに、おじさまったら」
 くしゃり、とキャスターの表情が崩れる。ここまで騒いでなお、龍童は起きる気配はない。規則正しく背が動いているが、ケイの時はともかく今に至るまで起きないものだろうか、と眉を寄せた。
「そっちのマスターに何かあったってんなら……良いんだか悪いんだか微妙だなマジで」
「そうなの? てっきり、いいことだっていうのだとおもっていたわ」
 槍を実体化させる。それに、まあ、とキャスターがわざとらしく驚いて見せた。先ほどの悲しそうな顔は今や見慣れた子供らしい無邪気さを称えた顔へ変貌している。
 普通の子供を装っていても、こういうところが非人間的だ、とランサーは警戒心を引き上げた。
「ふふ、ごかいしないでね。あたし、なんにもしてないわ。ほんとうにおねがいをしにきただけなの」
「そうすか。それで? そのお願いってのはなんなんですかね」
 相手は魔術師のサーヴァント。何をされてもおかしくはないし、なまじランサーが近代のサーヴァントであるが故に何をされたか完治できないというのも十分に有り得ていた。
 生命活動に異常が無いことの一点を頼りに、最悪部屋を吹き飛ばすつもりで臨戦態勢を取る。まさか、という予感がよぎっては、そうではあるまい、という謎の確信が居座っていた。
 そうして警戒しているランサーを脱力させるかのようにキャスターは微笑むと、次いで、酷く――酷く、見知った表情を浮かべた。
「あのね、『語り部』さん。おじさまを、どうか死なせてあげて」
 諦め。憐憫。後悔。それらをない交ぜにした、やるせない顔。
 そういう表情は――本当に、よく見てきた。夢から醒める、その間際に、とても。あるいは、今も。
「っあー……クソ、やかましい……それで、誰を殺せだって?」
「うおっ、起きてたんすか」
「さっき起きた……」
 おねぼうさんね、とくすくす笑っているキャスターをじろりと睨みつつ、龍童が身体を起こす。本当に先ほどまでしっかり眠っていたらしい。まじかこいつ、と思わなくも無かったが、緊張状態が続いてそれが緩んだと思えばそういうこともあるのかも知れない、と己を納得させた。
 いやでもランサーの霊体化解除で目が覚めるんだったら敵サーヴァント来襲でも目を覚ますべきではあるまいか。
「敵意も何も無いのに気づけるかよ」
「ふふ、お兄さんはよくわかってるのね?」
「俺何も言ってないんですけど」
「『めはくちほどにものをいう』っていうでしょう? でもね、あたし、そういうしょうじきものはきらいじゃないわ」
 くすくすとキャスターが笑う。龍童は一瞬だけランサーへ目を向けると、静かに口を開いた。酷い顔は変わらぬまま、ただその理由だけが、不意にすとんと腑に落ちた。
「何故俺に? お前はアレから良く聞いてるだろ。俺が何が出来ると思う」
「だからおねがいしにきたのよ、『語り部』さん。ずっとものがたりをよんできたやさしいひと。あむことができなくたって、つづることができなくたって、きっとあなたはかたりつづけたんだわ」
 キャスターが丸椅子から降りて、それはきれいなカーテシーを披露する。龍童は座ったまま、キャスターの言葉を待っていた。
「あたしは『ナーサリー・ライム』。こどもたちのえいえんのゆめ。おとなたちのえいえんのりそう」
 思わず息をのんだ。
 それは聖杯戦争でもっとも秘匿するべき情報。サーヴァントの真名だ。それを、あろうことかキャスターは自ら名乗ってきた。
「――あたしはおじさまのみた『じごく』。おわらないいましめ。あたしはいつだってだれかのゆめのまま。でもね」
 幼い子供が強い光を目に宿している。
 ナーサリー・ライム。マザー・グースとも呼ばれる英語の童歌そのもの。本来は英霊ではないのだが、こうして成立している以上は『概念として英霊に昇華された』ものとして召喚されているのだろう。
「物語は必ずいつか終わるの。戦火が広がり、黒い雨が降り、無数の屍が地を埋めたって、必ず。だからあたしはここに来たの」
 舌っ足らずさは消え失せて、子供達の夢はそのようなことを言った。
 それを龍童は静かに受け止めていた。無念と諦め。それから、口惜しそうな、悔しそうな、そういう表情だった。それが珍しいことに思えて、同時に理由も分かっていて、ランサーは何も言わなかった。
「何故」
 龍童が問う。ケイはもちろん、セイバーも姿を現す様子はない。キャスターが何かをしているのかも知れなかったが、少なくとも龍童もランサーも敵意を感じ取れていないのだから、それ以上の干渉はするつもりは無いのだろう。
「ルドルフは――愚直で、善良な、あの男は。あそこまで壊れ果てたんだ」
 正義の味方、と龍童は言っていた。
 ――難儀な男だったんだよ。そんなものは存在しないと理性で分かってたのに、理想を諦められなくて手を伸ばしてた。まっとうな倫理観と道徳を持つくせに、それが許されない場所に自ら歩いて行った。そういうヤツ。
 そういう言葉を、思い出す。それは現代において苦しい道であり、そして必ず打ち砕かれる理想でもあった。
「そもそもあの男は最初っから折れてたんだ。そんなものは、『正義』なんてものも、恒久的な平穏も存在しないって、ずっと前から知ってたんだよ。それでも諦めきれない愚か者だったはずだ。あんな、狂人では、なかった」
 だからうらやましかったし、だから友人だったのだろう、とランサーは龍童とキャスターから目を逸らした。似たような思いを知っている、と思った。
 側に居れば己が焦がされそうなほどの執念、あるいは光そのもの。それに焼かれるように手を伸ばして、終ぞついて行けずに流されたもの。
 キャスターは龍童の問いに目を瞬かせて、それから、こてん、と首をかしげた。
「わからない……ごめんなさい、しらないわ、あたし。でも……うーん、もしかしたら?」
 うんうんと少女らしい仕草で悩んだ後、キャスターは口を開く。
「あたし、よばれたときに、みつけてもらったの。そのときは、おじさまはすてきなひとだったわ。ぶっきらぼうで、くちがわるくって、ちっともあいそよくなかったけれど。でも、そうね。すてきなヒーローだったわ。きっと」
 それはさながら父を想う娘のような、あるいは絶対的に庇護してくれると信頼できる大人を見つけた幼子のような、そういう言葉だった。
 召喚された時は龍童の知るルドルフだった、ということだろうか。いまいち情報が掴みきれずに龍童の方を見れば、彼もまた眉間にしわを寄せていた。
「お前が呼ばれた後にああなったのか?」
「いいえ。あたしがめをあけたときには、もうゆうれいみたいだったの。かわいそうなひとだっておもったのよ――もういないゆめにくるしめられている、あわれなひと」
「……あんたもそうなのかは置いておくとして、俺は召喚されたって自覚してから視界を確保するまでほとんど間はありませんでしたよ。合ったとしてもほぼ僅かっつーか」
「だよなぁ。サーヴァントの成立のタイムラグを考えても、なんていうか――」
 キャスターはそわそわと落ち着かなさそうにしている。気がついたらしい龍童が、疑っているわけでは無くて、とフォローを入れていた。そういうところが彼の難儀なところだ、と未だに想っている。
「そも、何でアレを殺せって? 衝撃的な申し出ですっかり抜けてたが」
 まあ、とキャスターがうっかりしていたとでも言うように口元を手で覆って、それから内緒話をするように身をかがめて、龍童の元に寄る。咄嗟に自分も側によって、槍を持ったままかがんだ。
「あのね、とってもとってもわるいひとがきたの。それでね、おじさまをゆうわくしたんだわ」
「誘惑?」
「ええ! あかくてきれいな『あざ』をあげるからって」
「赤い……令呪のことすかね」
「そいつは? 男か、女か」
「くらかったから、ちがうかもしれないけれど。おとこのひと、だったとおもうわ?」
「……男でマスターってなると、もうケイさんしかいませんけど」
 流石にそれは考えづらい、とランサーは眉間にしわを寄せた。キャスターも、ちがうわ、と否定をした。
 鼎ケイは確かに独特の価値観を持っているように見えるが、基本的に善良だ。当たり前の善性を持ち合わせ、社会規範を守ることを良しとする。聖杯戦争にももちろん消極的だ。だから、ルドルフに積極的に関与するとは考えづらい。
 そもそも戦闘があった直後だ。なおさら考えにくいだろう。
「譲渡できる令呪を持ったヤツなんて、マスター以外はいるはず……――あ」
 元々酷い顔色だった龍童の顔がさらに青くなる。当たって欲しくない推測を立ててしまったかのような顔だった。
「聖杯戦争の、監督役……霊器盤が、まだ残ってたのか……?」
 夜は未だ深く、朝が来る気配はない。ぼそりと落とされた推測は、言いようもない不穏さに満ちていた。

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