零時前、扉の向こう側

フィーロ=フィロソフィ
フィロソフィ実装記念SS


 煌々と、僅かな光を吸収して輝いているように見えた。暗がりに浮かぶ、橙色に近い黄色の目が浮かんでいる。
「フィーロさん、こんばんは」
 それに、迷わず声をかければ、二つの黄金はきゅうっと細まって、こてりと傾いて見せた。
「こんばんは、タスクおじさま。こんばんは、タスクさま。ね、おしゃべりはどうかしら。ま、良い考えだわ。ね、どうかしら、おじさま」
 一見すると酷くわかりにくい会話は、彼女にとっては整合性のあるものだと知っている。
 彼女の名をフィロソフィ。哲学の名を冠したその人工生命体は、右腕と両足先が鳥の特徴をそのまま受け継いでいる、死体専門の解析医であった。
 おだやかで、少し変わり者な、心優しい少女の姿をしている。ずっと前から――そう、タスクが初めて彼女に出会ったのそのときから今まで、一つだって変わらない。
 そういう性質なのだ、と彼女たちは語る。
「ええ、構いませんよ」
「やったあ! じゃあ、どこに行きましょうか。ねえ、この間見つけた喫茶店はいかが? まあ! 良い考えね、『あたし』」
「喫茶店、ですか」
 ぱちん、と小さな音がして、人影が露わになる。廊下の証明の電気を入れてくれたらしい。ベージュ色の髪から生えた耳羽は垂れていた。リラックスしている証左で、タスクはそれになんとなく安堵を覚える。
 サイハテ本部の勤続歴でいえば彼女の方が先輩ではあったが、生きた年数で言えば自分の方が年上だ。タスクとフィロソフィは、そういう奇妙な仲間意識があった。
「それは構いませんが、この時間は空いていないのでは無いでしょうか」
「むう、それは確かに。ねえ『あたし』、喫茶店ってこの時間まで空いてるのかしら? いいえ、『わたし』。多分空いてないわ。とっくに誰も彼もおやすみの時間だもの」
 むすっとした表情を浮かべて、フィロソフィは酷く残念そうな顔をした。それが、見た目相応の少女のように思えて小さく笑む。また今度、と口に仕掛けてから、そうですね、と一度口の中で言葉を含ませる。
「それでは、また次のお休みにでも」
「ええ、ええ! そうさせて戴くわ。予定はしっかり開けてちょうだいね、おじさま」
「はい、しっかりと――」
 開けておきますよ、と言う声は別の職員の声によって上書きされた。息を切らせて走ってきた葉脈の職員の衣服は所々赤に染まっている。
 ただ事では無い、と目を見張って、なにがあったのです、と口を開く。
「死人ね? 死人だわ。嫌な香りがするもの。ええ、『あたし』、わかっているわ」
かつかつと彼女の爪と廊下が接触する音が不規則に響く。場所はどこです、と問えば、真っ青な顔をした彼は、地上の通路で翔と陽炎が、と息も絶え絶えに言った。
「ありがとう、お兄さん。ありがとう、素敵なあなた」
 真っ白なぽんちょがぶわりと膨れ上がって、小さな耳羽がぴん、と立った。興奮しているのか、彼女の動向がきゅるりと小さくなっては膨らんでいる。
「お先に失礼しますね、おじさま。ええ、急ぎましょう、『あたし』」
 かつかつと忙しなく廊下と爪がたたき合う音を聞いて、少女の姿が遠のいていく。帰還している時点で、負傷したか死んだ翔と陽炎は正しく処置が行われているはずだ。そこから先の解析は彼女の仕事。
 息を切らして、真っ青になった彼を部屋まで送りながらタスクは息を吐く。
 サイハテ本部で死者がでる頻度というのは決して低くは無い。地上に出て、聖者と接触するリスクがつきまとう以上、どうしたって死人は出る。
 彼女は、そんな彼らの死をとても――とても、尊んでいた。
 地上で死んだものも、土の下で死んだものも、等しく。全て、平等に。死は尊ばれるべきものだと信じて疑わない。
 二人分の人格を一つの身体に同居させている彼女たちは、いつだって少し外側から人を観察している。
 生の意味は問われるもので、死の意義は尊ばれるものなのだ、と彼女たちは口々に言った。
 口々に、というのは、おそらくこの二つの考えは彼女たちからすれば別々の意思で発している空であると思ったからだ。
 個室に職員を放り込み、扉が閉まる。防音はしっかりしているらしい部屋からは何も聞こえない。一寸先は真っ暗だ。何一つだって見えやしない。
「なぜ、私なぞが気に入られているのやら……」
「あら? そんなことを気にしていたの?」
「――っ!? フィーロさん!? お、脅かさないでいただけますか!?」
 くすりと少女は微笑んで、ごめんなさいね、ごめんなさあい、と気の抜けた声がゆらゆらと揺れた。
「死体の解析はよろしいのですか」
「ふふ、幸運なことにみんな生きていたの。とっても素敵なことだわ」
「ああ、なるほど……」
「彼に教えに来たのだけれど…… だめよ、『わたし』、多分、今、それどころじゃないわ。そうよね、『あたし』。また明日来ることにするわ」
 彼女の足取りは軽い。行き先は居住区では無く、どう見ても葉脈のラボだ。元々二十四時間の稼働が可能である彼女は、夜間に部屋に帰らないことも少なくない。
「ねえ、おじさま」
 ふと、思い出したようにフィロソフィは足を止めて、にこりと楽しそうに笑みを浮かべた。幼い顔立ちが強調されて、底だけを見れば、本当に下層を駆け回る少女のようだった。
「『わたし』は死を尊ぶわ。『あたし』は生を問い続けるわ。ね、おじさま。おじさまの答え、あたしたちはとっても素敵だと思っているの。ええ、本当よ。その上で、思考を止めないことが何より美しいことであるとわたしたちは思っているの」
 黒い瞳孔が、鮮やかで鮮烈な橙の光彩に囲われて怪しく光っている。
 森の賢者とも呼ばれる動物を模して、哲学の名を戴く彼女は、翼の方の手で口元を隠してクスクスと笑う。
「それじゃあ、また明日。おやすみなさい、いい夜を。約束、忘れちゃだめですからね」
「ええ、おやすみなさい、いい夜を。貴方こそ、うっかり遅刻はしないように」
「うふふ、はあい。えへへ、はあい」
 そんな、よくあるような会話を交わして彼女はふらりと姿を消した。
 全く、酷い話だ、とタスクは息を吐く。人が死ぬか生きるかの会話の直後にこれだ。ここでは、あまりに生と死が近すぎる。
 ――だから、だから、彼女たちの問いも意思も、決してないがしろにしてはならぬものであると知っている。
「重たい宿題だ、はは」
 疲れたような言葉とは裏腹に、浮かべられた表情はどこか明るいものだったとは、自分では中々気がつけなかった。

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