果ての灯り、賽の気まぐれ

サイハテ・ポイズン・クッキング!とタイトルをかなり悩みましたが辞めました。


 がん、という鈍い衝撃で目を覚ました。どうやらベッドから落ちたらしい。痛む頭をさすって、派手なあくびをしながら匠は部屋の明かりをつけずに手元の携帯端末の画面を点灯させる。
 時刻は午前二時。草木も眠る丑三つ時って言葉があったんだっけ、とぼんやりと目をこすりながら身体を起こした。
 今日は何をしたのだったか。いや、零時を回っているのだから昨日か。確かやっとレポートがまとまって、提出して、さあ一段落だと自室にたどり着いて、そこから先の記憶が酷くおぼろげだ。
 とはいえ、その手の記憶喪失は悲しいことに身に覚えがある。どうあがいても連徹明けの睡眠だ。そのうち普通に病気になって倒れそう。
 寝直すか、と匠はもう一度寝台に倒れ込む。ふわふわとした布団がもう一度眠りへと誘ってくれるはずだ。
 多分。
 きっとそう。
「……はらへったな」
 三大欲求に睡魔は勝てなかったらしい。
 大あくびをして、ぼうっとベッドに座り込んで、はらへったなあ、と同じことを考えてからのろのろと立ち上がった。
 腹が減って眠れないなら胃に何か入れるしか無い。
 胃にものを入れた瞬間覚醒するのでは? そんな正論は寝不足と徹夜明けで鈍った頭ではじき出せるわけもなく、ズボンをはいて、端末をポケットに突っ込んで、長く伸びきった髪を適当にまとめ、それからその辺に放り捨てていたティーシャツを着てから自室のドアを開けた。

 がん、ごん、という鈍い音に顔を上げた。
「いったたた……僕なんて平均ぐらいじゃないのか……もっとドア高くても……」
「おや鈍い音。レポートは終わったのかな」
「ああそれなら今日、いや昨日の朝に、あれ夕方? 多分それくらいに」
 完全に時間感覚がすっとんだ発言に小さく苦笑を浮かべて、そうか、と短く頷いた。額をさすって、脛を抱えている長身の男は恐らくは葉脈の職員だろう。あの支給のティーシャツを着るのは葉脈職員ぐらいだ。
 サイハテ内部には様々な人間がいる。そもそも人間でないものも多い。故に、匠の身長も言うほど高くは無いが、まあ高い低いで言えば十二分に高い。これで平均くらいとか言えば世の低身長に悩む者たちに殴り殺されるだろうがそれはそれ。
 先客がいるとは夢にも思っていなかったものだから、はて、と首をかしげて顔を上げた。まだ打ち付けた額と脛が痛い。頭を打ち付けた拍子によろけて脛も打ったのだ。どんくさいにもほどがある。
「えーっと、お邪魔ですかね」
「いいや、ちょうど来たところでね。夜間訓練も終わったから何か胃に入れようかと」
「夜間訓練……ああ、翔の」
「そう、それだ。そういう君は葉脈名物徹夜明けかな。今日は何徹目だい」
「三……四? 多分」
「多いな」
「まあ、それだけで済んだので」
 そうか、と頷くだけ頷いて、先客である女性がキッチンに入る。彼女も夜食を作りに来たらしい。
 居住区の共用部にはキッチンがある。葉脈が元気に実験をすることもあれば、小さなパーティをすることもあるし、食堂に行くほどでも無い空腹を覚えた職員がふらりと立ち寄ることもある。そんな場所だ。存外使われている区画でもある。
 あるいは、異常の中で現実逃避をするための場所かも知れない。一種の心理的な防衛反応というやつで、非日常に身を置くが故に、身近な日常に手を伸ばす。
 そう、例えば、料理とか。最も手軽で便利な手段だろう。
「っていうか徹夜が葉脈名物なのは酷い風評被害なんですが」
「ほう、私の目の前にいるのにか」
「僕はちょっと要領が悪いだけですよ。あ、僕、匠といいます。白上匠」
「リオだ」
 かちゃん、とガラスと金属のふれあう音を聞く。すっかり目は覚めてしまって、匠も何か作るか、と同じくキッチンに入る。それなりの人数を収容している居住区のそれなだけあって、それなりに広い。数人が同時に作業が出来るくらいにはスペースがあった。
 特に言葉を交わすわけでも無く、器具を並べて、軽く洗って、何を作ろうかと冷蔵庫を開けた。冷蔵庫の中にはビニール袋が乱雑に置かれている。
 共用の冷蔵庫だから、どれが誰のものか分かるように袋にまとめてあるのだ。自分の名前が書かれたそれを探してとりだして、いくつかの袋の中身を確認する。
「常連か。料理はよくするのかい」
「まあ、それなりに。食堂もいいんですけど、気分転換になりますから」
「なるほど、それはたしかに」
 かたん、ことん、と軽い音がする。あまりにありふれた生活音を聞きながら、何を作ろうかなあ、と適当に袋から食材を並べていった。
 そうこうしているうちに、ひょこり、と宙に浮いた帽子と小さな人影がドアから顔を覗かせる。片方は見知った、もう片方は見たことはある程度の人物だった。
「お夜食を作ろうかなーって……えへへ」
「自分はなんとなく歩いてたら電気ついてたんで寄ってみただけっす。何か作ってるんすか?」
 薄桃色の小柄な少女と、明らかに不自然に浮いた帽子がとてとてとキッチンに足を踏み入れる。そしてその後ろからにょっきり現れた別の人影に目を向ければ、ちかちかっと顔面が何故かフラッシュして、礼儀正しくお辞儀をしてくれた。つられてなんとなく頭を軽く下げる。
「そしてそのジルさんを見かけてついてきました」
「一人増えたな」
「まずい咄嗟に名前が出てこない」
「ネルヴァと申します」
「ジルっていいます」
 あら、もう痴呆かしらとクスクス笑う紫が一瞬脳裏によぎったので全力で追い出しつつ、匠です、と名乗り返した。
 隣のリオは変わらずカチャカチャと手際よく器具を並べて、早速食材を切り始めている。よく見ればどう見てもレトルト食品らしいパッケージの箱が見えて、便利だよなあそれ、と思いながら手元の食材に目を向けた。
 互いに顔見知りだったものが軽く挨拶をして、初見の人間は自己紹介を交わす。何とも和やかな光景だ。
 深夜二時のキッチンが何故か徐々に賑わい始めて、はて、と首をかしげたが、まあ賑やかな分には良いだろう。キッチンはどうしても食器や調理器具等が音を立てがちで、あと葉脈職員が元気にパーティ(※婉曲な表現)を行う都合上、居住区の中でも端っこに位置している。安眠妨害を防ぐためだ。
「お疲れ様です。匠さんのところは報告書は間に合いましたか? 私の所は、幸いなんとかおわったんですけれど」
「ああ、昨日ギリギリでなんとかね。とはいっても、僕は別のレポートでかかりきりだったから、ほぼ他の子に任せちゃったんだけど」
 報告書、というのはこの間の『テング』の一件のことだ。葉脈職員は当該任務達成後、事後処理で慌ただしい――本当に、死ぬほどと評するのが生ぬるいほどの業務に追われる羽目になった。
 なお、その忙しさの要因はどこぞのマスターの設定した無茶すぎるスケジュールのせいもである。合掌。
「葉脈のやばすぎると有名なレポート、一度お目にかかりたいものだな」
「いえ、そこまでやばいかっていうと……」
「別にそこまでじゃないとは思うけどなあ」
「そうなんすか? 俺たちが出す報告書みたいなもんなんですかね」
「違いますね」
「違うんすか……」
「そらそう。葉脈と陽炎と翔の任務内容があまりにも乖離しているからね」
 冷蔵庫をもう一度開けて、瓶類が詰まっている袋を取り出して中身を確認しながら会話に交じる。袋の中身にはおなじみの調味料から、ちょっとよく分からないものまで様々だ。
 気になったのか、リオと匠の手元に視線をさまよわせるサクラとジルが微笑ましい。いや、ジルの視線は分からないが、ゴーグルが左右に動きまくってるので視線は動きまくっているはずだ。多分。きっと。
「何を作るんですか? 私もお手伝いしますよ!」
「私は適当に野菜炒めでも。この間よさげなものをいただいたのでね、それを使おうかと」
「僕は……また何か適当に」
「ほう、『適当』に」
 すすす、とネルヴァがいつの間にか調理スペースに入っていた。流石は陽炎、気配があんまりなかったなと匠は感心していたが、それは単に匠が寝不足で注力が散漫になっているだけである。別にネルヴァは普通に調理スペースに歩いて入っていた。
「噂話ではあるのですが、匠さんの『創作料理』は大変斬新なものが多いとか」
「え?」
「あっ……ああー……」
「そうなんすか? 料理できるんですね! すげえっす!」
「まあ、長らく一人暮らししてた、し。それよりネルヴァ、その噂どっから」
「ア缶詰開封会です」
 なんだそのクソやばすぎる集会は。
 そしてそこで話題になる当たり、絶対に良い噂では無い。寝不足で思考能力が低下しきった頭でも、それぐらいは分かる。流石にそれくらいは分かるのだ。
 ああ、いや。集会の名前はなんか聞いたことあるかも、と思い出しながら全力で首を振った。単純にそういう話題だったのかも知れない。クソやばすぎるものを食したが故に、例えばMr.ウーマイの飯が恋しいとか、そういう。
 別に自分の作るものがすごく美味しいとは思ってはいないが、まあ並程度の味は出せているはずだ。少なくとも自分が飽きずに食べられる程度の。何度か後輩に振る舞った記憶もある。寝不足では無いときに。だから多分そういう話の流れであると思いたい。
 なので、サクラの何かを察した「ああー……」は聞かなかったことにする。現にサクラはこれ以上何かを言おうとはしていないし、もう過ぎた話題としよう。若干気まずそうに口元がもごもごしているのが申し訳ないが。
「ア缶詰開封会に興味がおありですか?」
「この話題の時に限って出てきます?」
「いえ、単にちょっと目が覚めてしまったのでコーヒーでも入れようかと思ってきたのですが、そんな話題が耳に入ってきましたので」
 にゅっと現れて来たのはいつも通りの服装をしたタレンだった。にこにこと柔和な笑みを浮かべた彼もまた、キッチンに用があってきたらしい。
「匠さんもきっと楽しめますよ」
「……そういえばそんな話をしてたな。行かないよ」
「それは残念です」
 代わりに、そわそわとし始めた帽子が一つ。
 匠は心底辞めておけと思うが、まあ個人の趣味嗜好は制限すべきものでは無いだろう。
 そんなことを思ってはいるが、正直言って匠が人のことをいえた口では無い。
 タレンは調理スペースから若干離れたあたりにあるポットを手に取って、中身を確認すると、こちらにゆっくりと歩いてきた。水が空っぽだったらしい。顔に「使い終わったら補充してほしいものです」と書いてある。
「ア缶詰開封会、またやってるんですね……」
「サクラさんも知ってるんすか? 行ったことがもしかしてあったり」
「私は無いですよ! 匠さんもあの感じだと行ったことはないみたいですね」
「あかんづめ開封会、というと」
「アカン缶詰開封会、通称ア缶詰開封会です! リオさんも興味あるんすか?」
「ふむ、興味深いね」
 じゅっ、と油の加熱される音と、野菜の水分が飛ぶ音がし始めた。おお、というジルの感嘆符がなんだか子供らしくて、知らず知らずの内に頬が緩む。
「毒物があれば止めておりますのでご安心を」
「はい、ネルヴァさんが来てくださると大変安全に執り行えて助かります」
 フライパンと野菜がこすれるたびに、じゅうじゅうと水分が急速に加熱されて蒸発していく音がする。こういった音はなんとなく食欲を加速させるのだから不思議なものだ、と匠もボウルに適当な野菜をちぎって入れて、調味料を放り込む。
「あっ」
「どうかしましたか?」
「……まあいっか。なんでもない」
 だぱっと入った液体が何の液体だったか分からなくなってしまった。後量もかなり間違えた気がする。そうっと握っていたはずの瓶のラベルを確認するが、何故かラベルは掠れてほとんど印刷面が消えてしまっており、何の液体だかよく分からない。
 まあ異臭はしないし、大丈夫だろう。
「色、臭いセーフ。毒物なし。セーフです」
「じゃあいっか」
 顔面に「セーフ」と浮かべて点滅させるネルヴァがじわじわと笑いを誘いに来る。冗談か真面目なのか絶妙に判断はつかないが、まあ食べ物なら大丈夫だろう。
 その様を横で眺めながらタレンは、
(ア缶詰開封会と同じ判定方式ですね、ふふ)
 などと和んでいたが誰も知る由はない。
「あんまりキッチンに人がいても邪魔になっちゃいますし、私、お茶入れてきますね」
「それでしたら、私の部屋から何かもってきましょうか。夜に飲んでも眠れるようなものがいくつかあります」
「わ! あ、でも悪い気もしますし、カフェインの無いお茶だったら確かこの辺りに……あった!」
「あ! 俺も手伝います!」
 それならちょうど良いですね、コーヒーも入れちゃいましょう、コップ出します――そんな他愛の無い話が少しだけ遠ざかる。
 遠ざかった先、コップを並べてティーバッグを入れたりなんだりしているなかで、ふと、思い立ったような声が机の上に転がった。
「そういやサクラさん、さっきちょっと口ごもってたっすよね。なんかあったんですか?」
 ああ、と何故か納得したタレンと、あ、というちょっと気まずい顔をするサクラにジルは首をかしげる。
 あの話題が出たときは、そう、確かネルヴァが「匠の創作料理は非常に斬新であるという噂を聞いた」とかそういう話だったはずだ。匠の手元を見る限り、どうやら料理は手慣れているようであったし、そもそもあの袋の個数からしてどう見たって共用キッチンの常連だ。それなりに料理は出来るだろう。当人も一人暮らしが長いから、といっていた。
 だからてっきり、斬新な美味しいものを作れるとかそういう話だと思ったのだが、どうやら違うらしい。
「えっとですね……匠さん、いつもは料理お上手なんです。いつもは……」
「寝不足の時は何故か物体エックスが錬成されるのですよね。しかも何故か全部食べられます。そして何故か『見た目はともかく口にすると普通に美味しい物体エックス』ができあがるときもあります」
「物体エックス」
「黒かったり青かったりショッキングピンクだったりしますね。あと稀に異臭がします」
「それ食べ物っすよね?」
「い……一応……」
「たまに罰ゲームに使われています」
「うわ」
 思わず声が漏れて、はっと口を塞ぐ。いや透明だから何も口元は見えないのだが、こういうのは気分の問題だ。咄嗟に調理スペースを見るが、匠もリオもネルヴァも特に気にした様子はない。ネルヴァあたりは聞こえていてもおかしくは無いが、特に言及するそぶりはなさそうだった。
「匠さんは非常に律儀なので、ご自身で錬成した物体エックスの味は全部把握していらっしゃいますよ。気になるのであれば聞いてみては?」
「そうなんすか!?」
「そうなんですか!?」
「ええ。以前そんなことをおっしゃってました。たまにはずれがあるんだよなあ、とかなんとか」
 たまにはずれ、ということは『食えないレベルのやべー何か』はたまにしか錬成されないらしい。
 というかもうタレンの言葉が「料理」から「錬成」になっている。理科の実験かなにかか。食料品は錬金術で生み出すものでは無い。料理は確かに化学の結晶ではあるだろうが、決して何かこう、正体不明の何かを生み出す技術では無いことは確かだ。
「まあ、今回匠さんは寝不足でしょうし、できあがるものは五割方物体エックスでしょう」
「半分の確率で成功はするんすね」
「はい、不思議なことに」
「でも結構レシピの中身紛失してますから、多分実費でやってなかったら今頃始末書ですよね……」
「実費なんすか……」
 うっすら葉脈職員の闇を垣間見た気がするが陽炎もどっこいどっこいである。というかサイハテ本部の実働部隊はどこもかしこもうっすら闇だ。光の部署など無いに等しい。
「こちら食用です」
「ならいっか」
「匠さん、これは洗剤です」
「うん、流石に分かるかな」
 漏れ聞こえる声を聞きながらジルは首をかしげた。
「あれ料理してるんすよね? 実験じゃ無くて」
「ア缶詰開封会の景色のようですね」
「今回は駄目そうですね……」
 もうお察しである。

「――で、できあがったのがこれだ。匠、君本当に異常は無いのか?」
「無いよ。あと今回は味は普通だよ」
「色セーフ、臭いセーフ、形状アウト、毒物無し。セーフです」
「なるほど、じゃあ一口」
 本当に食ってる……
 ジルは口元に手を当ててちょっと引いた。どうあがいても食べ物の見た目では無いが、というかそれを特にためらいも無く口に放り込むリオもかなり肝が据わっている。
 これ肝が据わっているっていっていいんすかね。一瞬そんなことが脳裏によぎったが知ったことでは無かった。
「ほう、本当に味はまともなんだな。やや塩辛いがこれはこれで」
「うんうん。ところで俺塩も醤油も入れた覚えないんだよね。なんでだろ」
「実に興味深いですね。先ほどは真緑だったというのに、現在は真っ白に」
「ひょ、漂白されてる……」
 リオが持ってきたさらには簡素な野菜炒めが乗っている。キャベツともやし、にんじんとタマネギといったおなじみの野菜が炒められていた。ほわほわと立つ湯気からはほんのりとスパイスの香りが乗っている。
「ハーブソルトかあ。たしかにいいね。安価だし」
「ああ、この間マーケットで安売りされていてね」
 サイハテ内の食糧事情は豊かでは決して無い。代わりに、スパイスなどの各種調味料が発達の兆しを見せている。リオが買ってきたのもそれだろう。塩とスパイス、ハーブが適量混ぜられたハーブソルトは野菜の味を殺さずに引き立てるのに最適だ。
 に、比べて隣の料理もどきが酷い。味がまともなのがかえってひどさを倍増させている。
「ところで形状アウトってどっから出たの?」
「時折内側から気泡が出る、硬さが一定で無い、糸を引く、等でしょうか。料理とするには内部の構造が安定していないようでしたので」
「すごいな、そんなことまで精査できるのか」
「簡易的ではありますが」
「絶対感心するところはそこじゃないですよね」
「味はまとも……?」
 糸を引いているのは腐っているのでは無いかと思わなくも無いが、悲しいことにこちら新鮮な食材を使用した結果できあがった物体エックスである。なんでだろう。
「なんなら加熱もしたんだよね。どうして糸を引くんだろう。おかしいなあ」
「本当に謎だなこれは。ア缶詰開封会もこんな感じなのかな」
「新鮮な食材の使用有無は違いますが概ねこんな感じですね」
「なるほど。次回開催の時は是非私も誘って欲しい」
「承知しました。楽しみですね」
 息をするようにア缶詰と同列に扱われたがそれは良いのだろうか、と匠の方を見てジルは再度「はわ……」と声に出しかけていた。なんでこの男は普通に食ってるのか。もっちゃねっちゃと、やや柔らかい食物を食ってる音が響くのがシュールすぎた。
「く、食えるんすね」
「今回のは味が普通だから」
「な、なるほど……お、俺も一口……」
「やめた方が良いと思うよ」
「食ってる本人が言うんすか? っていうか、リオさんはいいいんすか?」
「私は止められる前に口に運んだからね」
「なんならつままれてたし……」
 食べることをためらう人間を止める程度の良心はあったらしい。そっとネルヴァの方を見れば、何故か親指を立てられ、顔面には「いける!」と表記された。完全に楽しんでいるクチである。
「えっと」
 大あくびをしながら席についてもっちゃもっちゃと物体エックスを処理する匠にそうっと声をかければ、なあに、と首をかしげられた。もう皿の上の真っ白な何かが若干怖い。白すぎて皿との境界線が既に怪しいのだ。どうしてそうなるのか。そもそも野菜って白かっただろうか。多分そうではない。間違いなく白くは無い。
「おなか減ったの? ならリオのを食べると良いと思うよ。サクラたちがお茶入れに行ったのを見て『なら多めに作るとするか』って量増やしてたからさ」
「おお! さすがリオさ……いやそうじゃなくって、ア缶詰と同列なのはその、いいんすか? 匠さん物資開発部っすよね?」
「同列のものを作ったときは流石に認めるよ。好きではないから行かないけど」
「残念です」
「行かないんだってば」
「匠さんであれば楽しめるかと」
「行かないからな」
 でも確かにおなかは壊さないかもね、と言う当たり何というかもう色々駄目そうである。咄嗟に助けを求めようと周囲に目を向けたが、何故かリオもサクラもぱったりといなくなっており、その場には物体エックスを黙々と食す男とア缶詰開封会常連のちょっと刺激を求めがちな人間しかいない。
「一応食品開発もしてなくはないんだけど、最近はもっぱら衣料品とか他のラボの補助係だからなあ。まあ、これも趣味ってことで」
「趣味っすか……」
「そう。こういう嗜好品はどうしても後回しになりがちだからさ、趣味ついでにやるのがいいんだよ」
「……嗜好品っすか?」
「え? うん」
 食品関連の嗜好品と言えば、ぱっと思いつくのは菓子、次に酒類だろうか。つまみといったものもあるが、塩分が多く日持ちもする「おつまみ」といった類はヒューマンの長期任務に携行されることも多く、葉脈が積極的に開発していると聞く。何なら予算もちゃんと付いているはずだ。
 今回作っていたのは固形物だから、まさかとは思うが、とジルは恐る恐る口にする。こういうときボディが透明なので表情が見えないのが便利だなあと思うが、悲しいかな空気が賑やかなタイプなので大体だだ漏れである。
「まさか、お菓子つくろうとしたんすか?」
 きょとん、と匠が目を瞬かせて、それからぷはっ、と小さく吹き出した。
「まさか。僕が作ろうとしてたのはただの夜食だよ。大体、お菓子作るならちゃんと寝てからやるし」
「寝不足時にコレ作るのは自覚されているんですね」
「さすがにね。まあ今回のはレシピどっかやっちゃったし、もう再現は出来ないかな。味はまともだから何かつかえるかとも思ったんだけど」
「レシピを書いていた紙はコンロで燃えていましたからね」
「こわ……」
 一部始終を見ていたらしいネルヴァの補足が純粋に怖い。というか本当にリオとサクラはどこに行ったのか。早く戻ってきて欲しい。この空間、完全にツッコミ役がいない。
 あと味がまともであれば転用する気だったらしい。ジルは一瞬自分が食ってきた携行食の数々を思い浮かべると、全力でその考えを振り払うことにした。
「ちなみにア缶詰開封会のラインナップは見た目は普通です」
「色と匂いはほとんどアウトですね」
「そうなんすね! うーん、ならア缶詰の方がマシかもしれないですね……」
「解せないなあ」
「何故か漂白された物質を平らげた人に言われても……」
 かちゃん、と丁寧に食器を置いて匠が息を吐く。本当に完食してしまった。タレンの言は本当だったらしいが、こればかりは嘘であって欲しかった。いや嘘本当以前に謎物質を錬成しないで欲しかったが。
「ジルさんはア缶詰開封会興味おありでしたよね? リオさんと一緒に次回開催時にお誘いしましょうか」
「えっ!? あっ、あー……と」
 タレンの善意に満ちた笑みに目をそらす。アカン缶詰開封会は非常に気になるが、こう、先ほどの物体エックスを見た後だと恐怖心がどうしても出てくる。物体エックスを錬成した当人が参加を固辞しているあたりが余計に。
「ちなみに匠さんは一度ア缶を誤って食べてますが無事です」
「あったねそんなこと」
「なるほど。ちなみにネルヴァさん、そのア缶詰の色と臭いは」
「アウトです。胃腸が並程度であれば腹痛で倒れていたと推測されます」
「運が良かったみたいでねー」
「本当に。無事でよかったです」
「それ本当に運が良かっただけっすかね」
 ほけほけと続けられる会話が何とも奇妙だ。寝不足らしいそこの物体エックスを錬成してしまった葉脈はともかく、タレンとネルヴァはいたって素面のはずなのだが、これが個性というヤツだろうか。
 なんとも絶妙に常識の介在しない会話をなんとか続けていれば、ふわりと食欲をそそる良い香りがしてきょろきょろと辺りを見回した。おや、ああ、と気がついたらしいタレンと匠が調理スペースに目を向けた。
「味噌炒めですね」
「美味そうなヤツじゃないすか!」
「あ! お待たせしました! リオさんと相談してもう一品作ったんです。お茶と一緒にどうぞ!」
「これは……お気遣いいただいたみたいで、ありがとうございます」
「元々作るつもりだったからな。面白いものも見れたし」
「僕の料理は見世物では無いのだけれど……」
 サクラとリオが持ってきたのは味噌とごま油で炒められたやっぱり野菜だが、先ほどのソルトハーブで炒められたものよりも味付けが濃いんです、とサクラがにこにこと大皿から小皿に取り分けてくれていた。
 料理が出来る人ってすごいなあ、と眺めていたが、不意に、サクラの「匠のダークマター錬成は自費」発言を思い出し、咄嗟に端末を取り出しながら勢いよく立ち上がってしまった。
「――はっ! お金! 払います!」
「ああっ! わ、私も払います!」
「別に要らん」
 にべもなかった。
「もともといい加減食べないと腐りそうだったんでね。消費に付き合うのが礼だと思ってくれ」
「私は協力できずやや申し訳ないのですが……」
「先ほどの白い物体エックスの簡易データをもらえると嬉しい」
「え、要る? 本当に?」
「ボウル一杯分の野菜と数種の液体が手のひらサイズになったんだぞ。面白くないわけが無いだろう」
「聞けば聞くほどやばい物質ですね」
「では後ほど端末に転送いたしますね」
 匠は半ば諦めたように天を仰いで、まあいっか、と頷いた。別に良くは無いと思う。
「じゃあ盛り付けちゃいますね! 食べる人!」
 なんとなく緩い雰囲気が漂い始めた当たりで、サクラが菜箸を掲げつつ号令をかけた。それに慌てて返事をすれば、にこにことサクラは笑みを浮かべて見せた。
「あ、はいはい! 食べます! 両方!」
「私は少量で良い。食べ過ぎると眠れなくなる」
「では私も少しだけ」
「僕は余ったらで良いかな。もう自分で食べたし」
「私は食べられませんのでお構いなく」
「じゃあ私の分をよそって……と」
 慌ただしい日々が過ぎ去って、非常事態も落ち着いたある日の夜の共用キッチンはちょっとだけ賑やかだ。
「いただきます」
 そんな、ひとかけらの平和な深夜の話である。

「――ところでア缶詰開封会、どうでした?」
「すっごい盛り上がったんすよ!」
「いやはや、七十年前の缶詰、いけるものですね」
「人間の消化器官には驚かされるばかりです」
「まあ彼、いつぞやの黒い物体エックス常習犯らしいからな」
「あの物体エックス出回ってるんすか!?」
「書類提出期限超過の罰だよ。俺も食べるのちょっときついヤツを出してます!」
「うわ……」

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