足跡たどって軌跡と成れば、奇跡だって、きっと、ね。
ボール箱を両手に抱えて、やや、いやかなり不服そうに工業規格通りきっちり切られた紙束を睨む青年に苦笑を浮かべた。彼の名を、ロア、という。翔の青年で、匠はちょっとした縁で、彼の着ける装備の一部の開発を主導していた。彼がにらめっこしてる紙束は、そのレポート用紙である。
「相変わらずやけに設問が細かくて長くてめんどくさ……や、何でもない。悪い」
「やー、そればっかりは僕も同意するしか出来ないのでぼろくそに言ってもらって」
それで、と口を開く。使用感はどうだったかと問いながら、無機質な廊下の先へ目を向けた。ちらほらと行き交うヒューマンと人工生命体、小さな作業用のロボット、時折音を立てて開閉するスライド式の自動ドア――そういったものを通り過ぎながら、奇妙なものだと思う。
そこに自然の欠片などほとんど無い。タレンのように意識して部屋に取り入れるか、ロアたち翔や陽炎のように地上を歩く者でもなければ、自然というものはまず見かけない。
変なの。地上を取り戻すために戦っている癖して、この身は地上を一つだって知らないのだ。識らないもののために身を砕く意味が、どこにあるって言うんだろう。
「似たような設問も多いんだよね。一応目的があって設定されているから、間引くに間引けないし」
「そういうもんか……」
「特に、使用者本人さえ意識してないような違和感とか、使いづらさって申告もしにくいじゃない。そういうのをくみ取ろうとすると、どうしたって設問が細かくなるし、増えるんだよなあ」
「ああ、なるほど」
惰性で言葉を連ねながら、内心で、でもそれを作り上げたのは僕では無いのだけれど、と言い訳めいた言葉を並べ立てては冷えたものをすくい取る。
心理テストみたいだ、とこぼされて、それは確かに、と軽く笑う。こつこつと不規則に響く足音をバックミュージックに、なんとなくそういう会話を重ねた。
ロアが任務から帰ってきたのがついさっきで、匠が後片付けに捕まったものついさっき。つまるところいつもの後片付けのお時間である。大規模作戦でも無いんだし、別に運びものぐらいと渋る翔を押し切る形で、比較的体力のある葉脈が運搬用ロボットと分担して荷物や物資をあっという間に運び去っていったのがほんの数分前の話だ。匠もさっさと運んでしまうかとボール箱を抱え込んだ時に、ロアに声をかけられて今に至る。
「で、実際どんな感じ? 着用感は流石に問題ないと思うけど」
「ああ、それは全く。 ……実機能は、どうだかな。まだ試せてない」
低い声で足されたそれに、ああ、と目線を彼に合わせることも無く頷いた。
「試せないに越したことは無いんだけど」
「そうも行かねえだろ、こればっかりは」
「はは、だよねえ」
もしもそうあれたのなら、そもそもこの開発の話さえ持ち上がらなかったはずだ。だから、そういう話。浅慮で嫌になるなあ、と自己嫌悪じみたそれをきれいさっぱり包み隠して、曖昧な同意を返した。
とはいえ、匠の言葉は紛う事なき本心であったし、その言葉そのものが含む意味は全く見当外れというわけでも無い。備えは必要だが、使わないに越したことは無いのだ。その備えが本当に『備え』として機能するかどうかを確認できないというのは、いささか不便ではあるが。
(やろうと思えば……出来なくは無い、けどさ)
けれど、どうしても提案は出来なかった。どこかでいつも責任逃れをしている。多分、この使用感のレポートを開発部で回せば、確実にその話は持ち上がるから、どうせここで提案しなくたって問題は無い。実際、制作したときはそのテストもレポートのことも、誰も気がついていなかったのだから、もちろんそのことで誰が責められる問うわけでも無い。
血の臭い、なんて。別に作ろうと思えば簡単だ。実物を出すことだって造作も無い。そういう場所だ。
最悪、最低、未熟者。だから多分こうなっている。どうなっているかなんて自覚も無いくせに、時折そんな自己嫌悪と呵責が騒ぎ立てては何かに追い立てられるように消えていった。
「まあ、最悪、輸血パックか何かでも嗅げばどうにかなるだろ、その辺のテストは」
一瞬足を止めかけて、ぎこちなく歩行を続ける。それに気がついているのかいないのか、ロアは真正面を向いたまま息を吐いた。気は進まねえけど、と首をさする。アンプル――タレンの言うところの『強めのおまじない』を突き刺した箇所だろう。彼なりに思うところがあるのか、それきりロアは口を閉ざしてしまった。
こつこつ、こつこつ、と自分たち以外の音も入り交じった音を聞く。忙しないそれらを聞き流して、ボール箱をなんとなく抱え直した。素朴な茶色の箱に貼られた、小汚いラベルには『武器開発』とだけ雑に書かれている。基本電子化が進んでいるくせに、こういう所だけはアナログだ。
「サクラに用事?」
「……ああ、ナイフのレポートを……またレポートか……」
「武器のレポートの方がまだ楽そうではあるけど。基本、性能試験は向こうで済ませてくれるだろ」
うんざりした様子のロアにふと思いついた疑問を放り投げれば、五十歩百歩、と嫌そうな声が返ってきた。
「こっちはこっちで、記述量がな……白紙の圧が……」
「え、それ別に埋め切る必要ないよ?」
「えっ」
「うん」
「……まじか」
ああ、うん。なんか妙なところで真面目だよなあ。
しかし武器開発の方のレポートって記述式なんだ。面倒くさそう、と匠は素直に思った。物資開発のレポートという名のアンケートも大概かなり面倒くさいが、基本設問に四段から六段階で評価をしていくだけなので、あんまり考える必要が無いのだ。これは、物資開発が関わる開発物がどうしても様々な学力レベルのヒューマンに関わってくるから、という特性もある。もちろん記述欄もあるが、それだけだとどうしても、言語化できない不明点や不満点を可視化しきれない。この手のレポート作成を専門とする人間がいるくらいなのだから、物資開発部の使用感レポートに書ける情熱はちょっと異常だ。
武器はどうしても実地テストが全てみたいなところがあるからかなあ、とかそんなことを考えながら、まあレポートは面倒だよね、と雑に同意した。葉脈のお前が言って良いのかと言う目は無視を決め込む。面倒なものは面倒なのだ。
こつこつ、こつこつ、とんかんとん。徐々に全く別の音が混じり始めて、ああ研究区画に入ったなあ、とドアのすぐ隣にある表札に目を向ける。
サクラたちのラボは、とボール箱を抱え直していれば、控え目な紙のこすれる音がした。レポート用紙はしまい込んだらしい。
「あ、匠さーん! こっちで、うわぁーっ!?」
「あっ」
「おっと」
サクラの悲鳴と自分の視界が傾いたのがほぼ同時で、ついでに腕から荷物の重みが消えたことにより更に転倒速度が上がる。普段ラボ勤めの身体が咄嗟に受け身をとれるかというとそういうわけでもなく、ごちんっ、とまあまあ痛い音を立てて顔面で着地した。
「大丈夫ですか匠さん! ひえ、おでこ真っ赤……」
「だ、大丈夫、大丈夫なので騒がないで欲しい」
「派手にこけたな」
「触れないで欲しい。あ、荷物ありがと、助かった」
「まあ、手が届く範囲だったからな。つかここ、何も無いだろ」
そうだね、本当にそう。なんでこけたんだろう、と痛む額をさすりながらボール箱をサクラが案内するラボに運び込んで息を吐く。とんだ醜態をさらしてしまった。
ボール箱のテープを剥がして、中身を確認する。咄嗟にロアが荷物は抱えてくれたおかげで、幸い中身は何ともなさそうだった。周囲の職員がボール箱に群がり始めたあたりで、サクラがロアの方に駆け寄っているのが見えた。
「作戦お疲れ様です、ロアさん。あ、レポートは手が空いたらで大丈夫ですからね! 体力の回復を優先してください」
「ああ、でもなるべく早く出すようにはする。よく飛ぶし使い勝手も良くて助かる」
「それなら良かったです! 改良もメンテナンスもしますから、忌憚の無いご意見お待ちしてますね」
そういう会話を耳にして、そういえばそんな話があったっけなあ、とあくびを噛み殺した。
「匠さんも確か開発主導されてましたよね? 進捗いかがですか?」
「まあ、ぼちぼちかな」
不意に話題が振られて、なんとなく目をそらしながら答える。ぼちぼちとは言っても、作っているのは自分じゃ無い。そもそも、匠にとって服飾品は完全に専門外だ。唯一才があったものは業内では役立たずだし、今となっては開発チームの作業管理やらスケジュール管理やら、細々とした業務しか行えていない。
だから、なんとなく後ろめたかった。
「あ、そういや」
思い出したような声に顔を上げた。出来ればいいんだが、という前置きと一緒に、ロアはくるくるとナイフで遊びながら口を開く。次いで、ぱしっと音がして、武器で遊んではいけません、と笑顔ですごむサクラが見えた。おう、と小さく頷きながら仕舞う姿がどうにも面白く見えて、思わず小さく吹き出した。
「おい」
「や、ごめんごめん。それで、なんだっけ」
笑いをなんとか引っ込めながら続きを促せば、ロアは羞恥半分、呆れ半分といった様子で言葉を連ねる。息がな、とためらうような声に眉を寄せた。
「もしかして、呼吸に支障が出てる、あれ」
「いや、普通に走る分には……」
「全力疾走時は」
「……正直、きつい。多分、マスクが密着しすぎてるんだと思う。着けた感じは全く問題ないんだが」
ナイフを規定の位置にしまい直しながら、言いづらそうにロアは答えた。
それは、と口の中で転がして、思わず眉間にしわができあがる。それはあまりにも致命的だ。隠密を徹底される翔にとって、呼吸に支障が出るマスクなど論外もいいところだ。第一に隠密、発見された場合、余程特殊な状況でも無い限り翔がとる選択は逃走だ。それを阻害してどうするのか。
「つっても、あれ以上通気性良くするのは……どうなんだ? できるものか、そういうの」
「通気性を確保すればその分臭気はそのまま入るからなあ。どうだろう」
タレンの用意する携帯食も、言ってしまえば香りが強く口の中で長時間留まるだけの食糧だ。そこに、当然ながら血の臭いだけ打ち消すなんていいう都合のいい機能は存在しない。
通気性をある程度確保しながら、臭気を多少なりともカットできる程度の素材を使用しているが、それでは通気性の確保に難があるらしい。
ともなると、別の手段が必要そうではあるが――そこまで考えて、息を吐く。下手に外気を取り込もうとすれば通常時の活動に支障が出かねないし、かといって今のままでは緊急時に装備がロアの足を引っ張りかねない。
血の臭いを抑制したいと翔である彼が望むと言うことはそう言うことだ。匠はロアという青年の事情に特別明るいわけでは無かったが、嫌な話、そういう察しはついてしまう。
「全力疾走時にのみ、香りを増幅させて、更に通気性を確保できるような……機械では無く、機構のようなものであれば、実現可能では無いでしょうか」
「機構……」
ううん、と一緒になって考え始めたサクラに目を向けて、そうか機構か、と頷いた。なんとなく衣類品の枠でどうにかしなければと考えていたが、別に全てを衣類品担当で収める必要は一つだって無いのだ。
(良くないや)
自分が思うより、業務内で己が尤も得意とする分野に触れられないというのは堪えているらしい。もう五年ほどになるというのに、情けない話だ。
(――五年? そんなに長かったっけ。ああ、いや、そんなことは今はどうでも良くって)
色彩が落ちた視界を直すように軽く瞬きをして、ロア、と口を開く。
「血の臭いを抑える、っていうのはそういういとって認識でいいよね」
「――ああ」
「もう一つ、『それ以外』で全力疾走を求められる場面があったとしたら、嗅覚はそのままであることが望ましい、であってる?」
「それが可能なら。できるのか? 素人目だけど、難しいんじゃないか」
そうだね、と眉を下げて頷いた。怪訝そうな、あるいは気遣うような彼の表情とは真逆に、サクラが電子メモ帳を手に持ってわくわくと待機している。どう見てもこの後の発言をメモする気満々だ。たいそうなものではないのでやめて戴きたいと思うが、止められるものでもない。それに、武器開発部である彼女の視点と、物資開発部である匠の視点が根本的に異なる可能性も高いし、と無理矢理止めようとする心を抑えつけつつ言葉を選ぶ。
機構そのものは単純だ。
「本来のペスト仮面に近い運用にしようかと思って」
「マスクの先に香辛料やらハーブやらを詰めるんだっけか。それだと嗅覚を殺しすぎるって話になったんじゃないのか」
「そう、そこが問題だった。常時着けるものである以上、常に嗅覚を殺すのはあまりにリスクが高すぎる。だったら、時限式にしてしまえばいい」
す、と板状のものが差し出されて二度見した。サクラがにこにこと「図解ですね、わかっていますとも!」という顔で見ている。いやそうではなく、そうなんだけど、別に図解はしてもしなくてもいいというか。
まあいっか、と流れで受け取って、簡素な図を描く。ペストマスクの特徴的な嘴状のそれを描いて、半ばあたりに線を引いた。電子メモをロアとサクラがのぞき込んで、サクラが嘴を輪切りにするように引かれた線を指さしながら、ここに通気口を作る前提で素材の切り替えを行うんですね、と口にした。
「ロアさんの全力疾走時のデータは本部に正式に問い合わせれば出てくるでしょうし、それに合わせて作成すれば……」
「いや、まて、どういうことだ。や、俺は別に仕組みは知らなくても――」
「うーん、まあ普通ならそうなんだけど、今回死ぬほど単純な仕組みを使うから知っておいてもらった方がいいかも。というか君の意見を聞きたいので、せっかくだしこのまま聞いて」
「おう……」
はて、と首をかしげながら話を続ける。ロアはうっすらと困惑したような顔をした後、サクラと匠の顔を見比べて小さく息を吐いていた。
開発者ってみんなこんなものなのだろうか。多分そうなのだろうな。何せ葉脈のマスターがその極地のような存在だ。ロアはいつの間にかがっつり巻き込まれて時間をとられている、と思いつつもその場に留まっている。別に急ぎの用事も無かったし、何より己の装備の話だ。彼らがロアの意見が欲しいというのであれば、それを惜しむ理由も無かった。
「ざっくり説明をすると、特定の方向から来た風でのみ開く機構、と言うのを採用しようかと思って」
「特定の方向……」
「この場合はロアさんが走る方向から来る風、ですね。つまりは向かい風です。ね、匠さん」
ざっくりと図解をしながら説明を続ける。そう、機構そのものは実に単純。よくある逆流防止窓のような機構で、特定方向からきた風で開き、それ以外の方向から来る風や無風時は閉まる、という機構だ。
ペストマスクはその性質上、横に広い。奥行きのある空洞がある。それを利用して、まず機構より手前の布地を現在のままに、機構より奥の布地をより通気性に優れ、かつ香り袋を着けられるものに取り替える。万一にもバラバラにならないように、ペストマスク全体を通気性に影響を出さない程度の薄さの布で覆ってやれば問題は無いだろう。
「で、ここから先が相談」
しかしこれでは問題がある。機構の素材や重量を調整して、ロアが全力疾走を行う時にのみ開くように調整を行えたとする。
では、それと同じだけの向かい風がある場合はどうなるだろう。あるいは、嗅覚を打ち消す必要は無いが全力疾走が求められる場合はどうなるだろう。
この場合、このマスクは完全にロアのお荷物となってしまう。
「意図しない状況でこの機構が動作するのを防ぐために、手動ロックの機能を着けようかと思ってるんだけど」
「…………ああ、なるほど」
「うん。本末転倒、なんてことにならないように。それでなんだけど」
そういう緊急時にロックをかけるって異識は避けるか、と問おうとして、やめた。
「後で試作品をあげるので、またレポート頼みたいなって」
「ああ、そういうことなら」
若苗色の目が静かに浅緑の目を見据えていた。そんなことは聞かれずとも、と言外に訴えている。そういう目を知っている気がして、だから匠は困ったように口元に弧を浮かべてそんなことを言った。
案の定、ロアはあっさりと頷いた。それが嬉しいようで、どうにも苦い。
危ういのだ、と思う。どうしてそう思うのかは分からないくせに、おびえた心だけが泣いている。それに蓋をしようとしては、キィキィと耳障りな音を立てて泣きわめいている何時かがいた。
そんなことにはなり得ないよと、己に言い聞かせるように顔には笑みを貼り付けた。
「了解。それじゃあ、実地テストよろしくね。あ、今のレポートは」
「……やんなくていいか?」
「ごめん、差を比較したいので欲しい」
「そ……うか……」
「ロアさん、自由記述のウチのレポートよりマシです! ファイトですよ!」
「どっちもどっちなんだよなあ……」
かち、と電子メモ帳の円状のボタンを押し込む。黒い画面が素早く明滅を繰り返して、描いていた図はきれいさっぱり消えて無くなった。備え付けのペンをくぼみに戻して、ありがとう、とサクラに返す。
それじゃあ作成を急がないとね、と匠は端末を開いてメッセージアプリを起動させた。現在ちょうど終業時刻過ぎ。申請はしていないが、工作室の使用許可で融通を利かせてくれるぐらいの知人はいた。
こういうものつくりは好きだったんだよな、と。
ふと、そんなことを思い出した。


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