緑と紫

匠尚口調サンプルSS


 からん、ころん――
 空洞に硬いものがぶつかる音がくぐもっている。その音に聞き覚えがあって、匠は息を吐いて顔を上げた。
 葉脈物資開発部の部屋の一室で、サンプルとにらめっこしていたところだというのに。いや、サンプルとにらめっこしたところで何が解決するかと言えば多分何も解決しないから、まあちょうど良いのかも知れない。
「はろー、はろー。すごいクマね、ショウ?」
「深夜テンションのまま作業したらこれ。何しに来たんだ、尚」
 紫の髪の緑目の女はけらけらと楽しそうに笑うと、単に寄っただけよ、とうそぶいた。あちこちに泥が付着している。髪はまだしっとりと濡れていて、どうあがいても探索から帰ってすぐの様相だ。
「報告はいいのか」
「報告なんてとっくに済ませたわ。わたし、こう見えて事務作業『は』得意なのよ。所詮は機械だもの」
「……そ」
 葉脈管轄の部屋の一室に堂々と翔が侵入して良いのかという疑問については、一応ここはシークレットランクも低く設定されており、何なら現在匠が四苦八苦している研究大罪が一般食料なので、一応問題は無い。
 全くないかと言われると首を捻るとことではある。
 尚はその辺の椅子をからからと引いてくると、匠の目の前に佇む黒い物体エックスをまじまじと見つめていた。
「……食べる? 甘いぞ、一応」
「へえ、甘いの。 ……なんで味知ってるのかしら」
「深夜テンションで食べた」
「あらまあ。馬鹿なの?」
「まあ、可食の物質だけで構成されているから、食べられないことは……ないかなあって……」
 匠の目の前には物体エックス。どうあがいても黒墨というか、消し炭というか、木炭というか、木炭と言うにはねっちょりしているのだが、ともあれどうあがいても食べ物には見えない何かである。
 サイハテは地下に形成されたコロニーで、甘味といった嗜好品はどうしても手薄になりがちだ。開発だってどうしても後回しになる。こうして私用の時間を使って研究するしか無いくらいには、一般向けの嗜好品開発は後回しにされがちだ。
 どうしようも無い。必要、必要が無いから後回しになる。
 余裕が無いときの組織なんてそんなものだろう。それは、必要として匠も理解していた。
 それはそれとして、嗜好品は精神の安寧のために必須である。
「で、ちょこちょこ作ってたんだけど。一応、できたんだけど……」
 言いながら目をそらす。
 尚は人工生命体だが、ベースが純粋なヒューマンであるが故に見た目だけで言えばヒューマンと変わらない。話す言語も、身体的な特徴もヒューマンと相違が無いのだ。
 つまり、思考回路も正直さほどヒューマンと差異が無い。要はこんな物体エックスを食べたいとは思わないということである。先ほどの「馬鹿なの?」が全てを語っていた。空しい。
「甘いだけの物体エックスねえ。栄養価とかはどうなの? ほら、見た目だけならどうにでもなるじゃない?」
「わかんない……」
「分からない」
「あとこの見た目になったのはついさっきで、それまではなんか青っぽい見た目でした……」
「あら、まあ。食用なの、それ」
「僕が食えたので……一応は……」
 ふうん、と尚は物体エックスを一瞥すると、ひとつまみして口に放り込んだ。得に止める間は無かったし、というか泥まみれの指で食品(?)を触るのは辞めていただきたい。
 ねっちゃもっちゃと粘着質な咀嚼音がして、尚の眉間にしわが寄った。
「本当、甘いっちゃ甘いのね、これ。でも食品の甘さじゃ無いわよ。何この……暴力的なねっちょりした甘み……」
「ここに代用コーヒーがあります」
「気が利くようで大変結構。うえっ」
 作った当人の目の前で嘔吐くのはどうかと思うが、こればかりは嘔吐いてくれて大変助かる。いけるかも、という希望を絶たせてくれた。匠はこの物体エックスをゴミ箱に放り投げることを決めた。
「……まったく、食料品開発なんて剥かないんじゃないの?」
「はは、そうかもね」
「機械系の開発にすればいいじゃない。別に、まだ好きなんでしょ」
 泥水に似た色の液体をすすって尚が言う。
 その言葉に他意は無い。彼女はいつもそう言った。匠に食料開発や医療開発は向いていない、機械系の、もっと前線支援用の開発をすれば良い、と。
 それは心底もっともだと思う。匠は元々そのつもりで葉脈に配属された。
「そうだね、まだ好きだよ」
 ただ、それでも、不思議なことに、その好きが好きでなくなってしまう瞬間がある。
「でも、ふと何も手が動かなくなっちゃうからさ、多分僕はその手の開発はできない。趣味は趣味、ってことで」
「あ、そ」
 尚は途端に不機嫌そうにそう返して、かつん、からん、ころん、と複数の音を立たせてドアノブに手をかけた。休憩はもう終わりらしい。
「現実逃避もほどほどにしなさいよ」
「はいはい、おっしゃるとおりで」
 苦笑交じりに返す。不機嫌な緑色の目と、普段はほとんどしない足音を聞きながら首をかしげてあくびをした。
 現実逃避。何の現実から逃げているというのだろう。別に、匠はちゃんと仕事しているし、この食料開発だって無意味な開発ではない。後回しにされるだけで、これも必要な開発だ。
「まあ、いっか。間違いじゃ無いだろうし」
 現に聞き返されなかったし、会話も不自然では無かったはずだ。匠は机の上を簡単に片付けると、つなぎのまま机の上に突っ伏して仮眠をとる。
 ――ああ、そういえば。
 あの子、なんでいつもおれの所に来るんだろう?
 そんな疑問さえまどろみの中に放り捨てた。

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