Fate/Abendrot – 11

色の無い記憶/善

剣陣営+弓陣営VS術陣営。やっと話が大きく動かせたんですけど代わりにランサー陣営の影が消えました。なんでだ。

正義を追い求めて折れたものと、そもそも追い求めることすら許されなかったものと、追いかけ方を探しているものと、その様を観察しているものたちの話。


 何故、と尋ねられた。
「……主語を端折らないでくれ」
「わからないなら、いいよ。思いつきで聞いただけだ」
「かえって気になるだろうが」
 文句を言ってはみたが、この口数の少ない男は一度そうだと決めたら中々ねじ曲げない性質の男で、つまるところは聞き出せないだろうと思った。
 濁った水を無理に口に流し込む。明らかに衛生的にはよろしくない水分だったが、こんなものでも取っていないと死んでしまう。多少は魔術で誤魔化しが効くとは言え、完全にごまかしきるにはルドルフの魔術は相性が悪かった。
 その様子を隣に佇む男がじっと観察している。黒い目の下には消えかかった隈が浮かんでいた。不眠だったのだろう。長い髪が風に吹かれてゆらゆらと遊んでいる。
「あれだけの防壁を扱えるのに、生命維持は出来ないのか?」
「ああ。私の魔術でもやりようがあるのかも知れないが……生憎、代々続く魔術師の家系とやらの出でも無くてね。やり方も分からん。かといって時計塔に行くにもな」
「時計塔か。あそこは肌に合わないだろな、お前は」
「は、だろうな」
 眼前にはお世辞にも美しいとは言えない陰惨な現場が広がっている。廃墟と乾いた血、それから干からびた死体で構成された農村だった。死体の種類は様々で――それらをいちいち認識するのさえ億劫だった。
 奥歯が欠けていた。押しつけられた仕事を処理する内に強く歯ぎしりをしすぎて割ってしまったらしい。
 未だに理想に縋っているとは何とも滑稽な、と息を吐いた。隣の男はそのあたりはきっちりと割り切っているように見えたが、今の様子を見る限りではそれは思い違いにも見えた。
 淡々と異形と化した住民を処理し、魔術師を手にかけた男の顔色は一つも変わらない。ただ、口数は仕事が終わって行くにつれて明らかに減っていった。思うところはあるのだろう。
「何故こんな仕事を受けたのか聞いても?」
 ぴくりと男が反応して、それから生気の無い目を向けられた。ぞっとするほどにうつろな目は、深い絶望を称えている。そういう目をよく知っていて――ルドルフは聞いておきながら目を逸らしそうになった不義理を恥じた。
 男はルドルフが押しつけられた仕事の現場にふらりと現れて、同じ仕事を受けたのだと言って処理に協力した魔術師だった。このような仕事を受けているということは、ルドルフと同じく魔術師と言うよりは『魔術使い』なのかもしれない。
「別に。単に押しつけられただけだ」
「そうか」
 会話が途切れる。男はじっとルドルフに視線を向けたまま、今度は男の方から口を開いた。何故、と再び同じ問い。
「正義、なんて。そんな曖昧なものを求めたんだ」
 風が吹いている。乾いた風に血の臭いが乗って酷く気分が悪い。煌々と輝く日がとっくに血は乾かしきっているというのに、臭いとは存外残るものである。
 男はただじっと待っている。口数は酷く少ないが、一言一言が重たく、核心を掴もうと抉ってくるようにも思えた。
 そのような話をしただろうか、とルドルフは思い返したが、彼と合流してからは単に仕事をしていただけで、それ以上のことはしていない。互いにそこまでお喋りな性格ではないため、互いが互いの名前を知らないくらいだった。
 だから、このルドルフの酷く脆く――根幹になっているところをこの男が知っているはずも無いのだ。過去にあったことが会っただろうかとも思ったが、こんな話をするような人間などルドルフには居なかったし、仮に居たとしたら忘れるわけも無かった。
「どこでその話を聞いたが知らないが」
 男から目を逸らす。
「それを君に話す理由が無い」
 胸の奥で古傷が膿んだ音を立てている。未だ言えない傷は、ルドルフの理想をたたき折った代わりに根幹の一つに成り代わってしまった。
 男はしばらく考えるように目を伏せて、それから、そうだな、とだけ頷いた。
 これが最初の話。
 ルドルフ・クラウゼヴィッツという正義の味方のなり損ないと、龍童令という観測者の歩く道が交わった時の話だ。

 公園で戯れる少女を見ながら、隣に座っている男性と顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「子供って元気ですね……」
「全くです。流石にこの年になるとあの体力に追いつくのも難しく……」
「あはは、俺だって厳しいですよ。子供って時々びっくりするほどパワフルだって聞きますし」
 金髪の男性は、白い髪の少女とセイバーが思いっきり公園で遊んでいる様を見ている。携帯や本に現を抜かす様子はなく、ただまだ幼い少女を見守っていた。
 見回りに行きましょうとセイバーに龍童邸から引きずり出されてから一時間もしないうちにこうして公園に落ち着いている。時刻は午前十一時頃、まだ日が南天へ昇っている最中の時間だ。
 この公園を通り過ぎようとしたときに、白い髪の少女が勢いよくセイバーに激突してきたのである。セイバーの運動神経で除けられないとはとても思えないから、恐らくは少女が転ばないようにあえて受け止める選択をしたのだろう。
 少女は十歳くらいの年に見えた。白い髪に桃色の瞳の外国人らしい少女で、己の隣に居る男性とはとても似ていない。男は以前駅前でセイバーとケイに人を聞いてきた男で、はじめこそ警戒はしたが、結局はこうして戯れている。
 いいことか悪いことかはさておくとして、そこに悪意が横たえていなければセイバーは結局他者を邪険に扱えないのだ。結局、天真爛漫な少女の遊びのお誘いに乗る形で今に至る。
(まあ、気になることはあるんだけれど)
 例えば何故ケイとセイバーがマスターとサーヴァントであると分かったのか、とか。この少女との関係性とか、色々。しかしそれらを今聞いたところで、と天秤を傾ける。余計な事態を招くことは目に見えていた。だから黙っている。
「お姉さん、次はあっちで遊びましょう!」
「む、砂場ですね。それでは何を作りましょうか」
「そうね……やっぱり、お城がいいわ! お姫様と王子様が住んでいるような」
「良い考えです。それでは早速取りかかりましょう!」
 そしてこのセイバー、完全になじんでいる。基本的に面倒見が良いのか、あるいは子供にはそのように振る舞うべき、としているのかもしれない。
 ケイは――そこに交じる気にはどうしてもなれなかった。それは途方もない違和感であり、一緒に遊ぶ選択をするには膨らみすぎた警戒心でもあった。
 白い髪の少女はアリスと呼ばれていた。彼女は天真爛漫に、無邪気に、ただ楽しそうにセイバーと戯れている。
 それが、作り物めいた完璧さを思わせて、どうにも好ましくは思えなかったのだ。
 隣に佇む男性はただ穏やかに話題を振ってくる。無難な天気の話から始まって、アリスの話、学校の話、買い物の話。一部ケイにとっては答えづらい話題があったが、一般的な話題だ。
 普通の光景だった。セイバーはアリスと砂場で遊んでいる。それが当たり前だと錯覚してしまうほどに。
(――『当たり前』? 何が、何を基準に?)
 秋の終わりの乾いて冷たい風が吹き抜けている。枯れ枝がこすれる音を聞いた。ぱちぱちと彼は同士がこすれる音を聞いて――ケイは、そこで明確にこの状況を異常であると判断した。
 何かがおかしい。絶対におかしい。何がおかしいかは明確には言えないが、ケイの持つ天秤は明確に異常に傾いている。表には出さずに男との談笑を続ける。セイバーの様子を確認するが、変わった様子はない。
 何が起こっているのかも分からなければ、何をするべきなのかも分からなかった。ただ迂闊に動かない方が良いことだけは分かる。咄嗟に念話を使うべきかとも思ったが、それさえも迂闊なのだろうか、と思うと何も出来なかった。
 基準が無ければ、ケイはこんなにも優柔不断なのだ。背中にじわりとにじんだ汗をごまかすように笑みを浮かべる。
「そういえば、駅前で探されてたのってアリスさんですよね。無事に合流できたみたいで良かったです」
「ああ、その節は本当に申し訳ありません。私も目は離さないようにはしていたのですが、子供というのは本当に油断すると予想もしない行動をしていまして――」
 男が微笑む。けたたましいサイレンが脳内に響いた。穏やかな様子の男の目は冷え切っている。青い目には何も映っていなかった。眼前に居るケイの姿でさえ――
「ッセイバー――」
「まあ、こわい!」
 枯れ葉のこすれる音が聞こえる。それは瞬く間に赤い色を帯び、実体を持って、熱を孕む。
 セイバーのアイボリーの私服には赤い染みが広がっていた。
 何が起きた? 何をされた? それ以前に――いつからこうなった? 何を間違えた?
 伸ばした手は虚しく空を切って、瞬く間に広がった炎がセイバーとケイの間を隔てた。白い普通の少女はいつの間にか少年兵のような姿になって、にこにこと天真爛漫な笑顔を浮かべている。
「お前……!」
「どうしてこうなってしまったのかしら。さっきまで楽しく遊べていたのに。ねえ、おじさま? わたし、なにかしてしまったの?」
「いいや。君は何も悪くは無い。君は何も悪くないんだ、アリス」
 男も、やはり不気味なほどに表情は変わっていなかった。先ほどまでケイと談笑していた時と同じ顔で、同じ笑顔で、武具を持ってケイに向ける。
 これはまずい、と思うと同時に、これ以上は無理だろうな、と冷静な部分が判断していた。
 これ以上生き延びる見込みは無い。四方は炎に囲まれ、守護者であるサーヴァントはあっさりと倒され、頼みの綱である龍童もここにはいない。
 これでおしまい。迫る炎の壁から逃れる手段も、目の前の男と少女の暴力から逃れる術もない。起死回生の一手たる魔術など、都合良くケイが会得しているわけも無かった。
 とはいえ、無為に死ぬのも効率が悪い。
 常人ではおよそ有り得ない論理を持って、ケイは魔術回路を起動させる。ありきたりな身体強化で、通り抜けられるかも分からない炎の壁に向かって一目散に走った。
「ああ――それは、駄目よ。だめ――」
 炎の壁に触れるその瞬間、そんな少女の苦しそうな声が耳についた。

 じいっと様子を見ていた銀色の女は、穏やかに微笑むと、行きましょうか、と緑衣の弓兵に声をかけた。緑色の目は好奇心に満ちたまま、表情は満足げに、声はうれしさで弾んでいる。
 はいはい、とアーチャーは慣れた様子で弓をつがえた。スノードームのような結界に狙いを定めて矢を向ければ、マスターの魔術が矢先に乗る。
 炎が優雅に舞う最悪のスノードームである。とてもじゃないが中に入ろうとは思うまい。
 シルバーリングが指示した場所へ性格に矢を打ち込む。ぴしりと音を立てて結界が割れた。マジかよとアーチャーが思わず漏らす。
「アイツの結界、死ぬほど硬いってのに良く割れたなマジで。これが特級の魔眼の力ってやつですかい?」
「魔眼、ではないわね。単に見ただけよ。星の力を借りるなら、わたしが見えない道理が無いわ?」
 さいですか、と最初からあまり興味が無かったかのように結界へ目を向けた。
 あれは、キャスターが仕掛けた罠だ。そこにほいほいとセイバー陣営が引っかかったのはタチの悪い冗談かと思ったが、どうやら本当にあっさりと引っかかったらしい。
 あのマスターはなんだかんだで警戒心が強いタイプだと思ってたんだが、とアーチャーは弓をつがえたままシルバーリングの指示を待っている。
 あの子はきっと気がつかないわ、と彼女は言った。事実、本当に気がつかずに罠にかかっていた。まともなマスターであれば放っておけば良いのだろうが――生憎と、アーチャーのマスターは普通のマスターとはお世辞にも形容できない。
 それに、キャスターの結界型の罠でサーヴァントとマスターを誘い出すのであれば、おそらくは魔力の補給と魂喰いが目的だろう。セイバーが早々に脱落してくれるなら御の字だが、的が強化されてしまうのは頂けない。
 何よりキャスターというのが余計に嫌なんですよねえ、とアーチャーは考えている。自分と同じく搦め手を使うサーヴァントである。魔力の補強はそのまま手数の補強に直結するのだ。ランサーやセイバー、バーサーカーのように、単に個の力が強化された方が百倍マシである。
「んー……そうね、そうだわ」
 緑色の目が割れた結界の奥を見据えている。半妖精たる彼女は、どうやらその結界の中に何かしらの価値を見いだしたらしい。
「貴方がその選択をするのなら、わたしも貴方に興味があるわ。ふふ、行きましょうか、アーチャー」
「行くのはいいんですけどね、何回でもいいますけどオレは後方支援が専門ですぜ? 今回は裏から援護ってことで」
「……そうなの? なら、うーん、仕方ないかしら。もったいないと思うけれど、わたし一人で行くわね」
「それがいい。オレはどこまで行っても人間でしか無い。たかがサーヴァントが、アンタの答え探しを手伝えるとも思いませんし」
 銀環の君は呆けたような表情を浮かべた後、誠実な人ね、と微笑んで、解けるように姿を消した。肉の殻を得、物理的には人間と変わらないにしろ、元妖精という特異性は健在である。今頃はあっさりと結界の中に姿を現して、いつぞやのランサーのマスターの拠点でやらかしたように場を引っかき回していることだろう。
 アーチャーは慣れた手つきで毒矢をつがえる。仕込みは済ませ、結界の外はアーチャーの張った罠だらけだ。暗殺が本分の弓兵らしく、偵察も事前準備も済ませている。もっとも、ほとんどの場合はマスターであるシルバーリングに台無しにされてばかりなのだが。
「それで、アンタは行かないのか? 一応同盟相手なんでしょ」
「歩く災害が入ったのにわざわざ介入する必要も無いだろう」
「歩く災害って、人のマスターになんつー言い草だよ。否定が出来ないのが悲しいところですけど。っていうか、ランサーはどうしたのよ」
「置いてきた」
「正気か?」
「この戦争で正気を保ってるのがどれほどいるんだかな」
「ははあ、答える気はないってワケね」
 シルバーリングと入れ替わるように現れたランサーのマスターは、相変わらずの陰鬱そうな表情のまま、割れた結界を眺めている。先ほどからずっと居たので警戒はしていたが、ついぞこうして傍観を選んだらしい。
 何を考えてるのか分からないのはどいつも同じか、とアーチャーは龍童から目を背けた。

 炎に手が触れるその瞬間に、場違いなほどに美しい銀色の風が吹いた。
「こんにちは、セイバーさんのマスターさん」
「シルバー……リングさん……」
「ふふ、元気そうでうれしいわ。ねえ、ひとつききたいのだけれど、いいかしら?」
 にこにこと微笑む彼女は龍童邸やフードコートに現れたときと変わらない。いやいいんだけど、と口を開きながらアリスと男の方を振り向く。彼らは、やはり表情は変わらない。場違いなほどに穏やかな表情のまま、作り物めいた笑顔をこちらに向けている。
 砂場にはセイバーが倒れている。洋服に赤い染みをつくって、砂は血で固められていた。
「ごきげんよう、お姉さん」
「アーチャーのマスター、何をしにここへ?」
 男は口を開いた瞬間、穏やかな笑顔が仮面を外したかのように外してそう問うた。シルバーリングはアリスの挨拶にも男の問いにも答えることはせず、ケイの視線の先を辿って、ああ、と納得したように頷いた。
「セイバーさんは、無事よ。その前に、ここからでなくては、ね?」
「あ、やっぱり……ってそうじゃなくてそうじゃなくて! なんでこんな所に!? それ以前に、なんで俺を助けて……?」
 サーヴァントは霊体だ。霊核を砕かれれば当然その身体は残らない。
 だから、今のセイバーのように、死してなお身体が残る、なんてことは有り得ないのだ。
 それに、セイバーは確かに純真でお人好しな善人ではあるが、愚かでは無い。こんなにわかりやすく怪しい親子と親しくする、なんてことは、多分有り得ない。
 ひりひりと脳が痛んでいる。ぼやけていた不可解な点が急に輪郭を帯びて浮かび上がってくる。いつから、どうやって、という疑問が過ぎ去っては答えを見つけられぬまま積もっていく。
「小さなお嬢さん、傷ついた大人とのごっこ遊びは、楽しいかしら」
「――……うふふ、もちろん。だって子供は遊ぶものでしょう? 誰もがあたしにそう望んだの。おじさまがあたしにそう望んだの。子供とはかくあるべきだ――って。だからあたしはそう振る舞うわ。子供は大人の夢ですもの」
 男は何も言わない。少女らしからぬ言葉を紡ぎきった少女は、本性を現すように炎をたぐって無邪気に爛漫に笑顔を浮かべた。
「アリス、いい。私がやろう」
「いいの? おじさま、ぼうりょくはいつだってきらいでしょう?」
「ああ。だが、それは子供が振るうべきものではないんだ。だから君は後ろで控えていて欲しい」
「わかったわ。けがはしないようにね、おじさま」
 偽装が解ける。欺瞞が消える。薄い糖衣掛けを溶かしてしまうように、隠されていたものが露わになる。
 圧倒的な魔力の質量。存在するだけで蒸発してしまいそうな力のたぎり。いつもすぐ側に控えている騎士姫と同質のそれは、紛れもなく――
「サーヴァントと、マスター……!」
「ほう、流石に気がつくか。どうやら底なしの無能では無いらしい」
 不意に飛んできたものを弾くように男が棍を振るった。きん、と高い音が響いて矢が落ちる。シルバーリングがここにいるのだから、当然アーチャーだってここにいるのだろう。矢は恐らくアーチャーが放ったものだと思われた。
 アリス――男のサーヴァントは後ろでつまらなさそうな表情を浮かべて控えていた。いつの間にか現れた公園のベンチに腰をかけて、足をぷらぷらと遊ばせている。
「んー……どこかしら。この辺?」
 炎の中、シルバーリングが男の様子にもケイの様子にも気にかけること無くふらりと足を踏み出して、何も無い空間へ手を伸ばした。そこは、まだ炎の壁が迫っていない場所でもあった。
 銀色の風が吹く。銀環の君はただ楽しげに微笑んだまま。男は警戒を保ったまま、棍を低く構えている。この場でケイだけが場違いだった。基準を持たない秤は何の役にも立たない。
「ここ、ねっ!」
「うわああぁぁぁああ!? っ、マスター! ご無事でよかっ、何故シルバーリングがここに!?」
 セイバー、と手を伸ばす。令呪の刻まれた右手の甲が痛んだような気がした。
 それはそれとして、今全くの虚無の空間から突然セイバーが生えてきたように見えてきたがコレは一体、とシルバーリングに目を向けた。銀色の髪を炎の産み出す熱風に遊ばせて、涼やかに女は微笑んでいた。
「幻想に、空想。存在しないものを、存在するように。見えぬのならば見えるように。わたし、ね、そういうのが得意なのよ」
 不愉快そうに男ががつんと棍で地面を叩いた。銀色の風が渦巻いて、炎を押し返すようにその密度を増していく。
 セイバーは私服から鎧姿になっており、細身の剣を握っていた。
 奥に座る少女は何も言わない。真昼の太陽が炎の壁の奥から覗いたその瞬間――
「チッ……!」
「させません!」
 棍と剣が交わった。
 儀礼剣が棍を弾き、返す刃で男の腕を狙う。急所は狙わないのか、と思ったが、奥に控える少女の存在を思い出してケイも一歩引いた。
 シルバーリングの発言を思い返す限り、恐らく一連の異常の起点は彼女だ。男が彼女を守るように立ちはだかったのもそういう理由なのだろう。
「ねえ、ケイさん。すこしだけ聞いてもいいかしら?」
「へっ? えっと、手短にしてもらえるなら……」
「ふふ、ありがとう」
 銀色の風で遊びながらシルバーリングが緑色の目を男に向けた。炎は未だ男の周囲を漂っている。少女はどこか寂しそうに、変わらず足を遊ばせていた。
 剣が確かに男の腕に滑り込んだが、明らかに衣服と剣がこすれるような音では無い音を立てながら剣が滑っていく。セイバーの目が動揺したように開いて、すぐに籠手で迫り来る棍を防いだ。
「ねえ、あのとき、どうして手を伸ばしたの?」
「あの時?」
「ええ。だって、人は炎は怖いでしょう? ただ刺されるより、よっぽど苦しいもの。それに、貴方は、生きたいのではないの? 炎に飛び込むのは、きっと自ら死に飛び込むのと一緒だわ。あそこでキャスターに食べられてしまおうが、炎に飲まれて焼き死のうが、結果は一緒。なのに、どうして苦しい方を選んだの?」
 穏やかな声音で、出かけ先を選んだ理由を聞くような軽さで、シルバーリングはケイに聞いた。緑色の目には純粋な好奇心だけが浮かんでいる。そこに陰謀の色も侮蔑の色ももない。ただ聞きたいから聞いているのだと、付き合いが浅くとも分かった。
 焼ける音が聞こえる。どこからか悲鳴がこだましていた。それを、苦しそうにセイバーが駆けて、男の攻撃を凌いでいる。どこからか飛んでくる矢が的確な援護をしているのも見て取れた。少女――キャスターは動かない。マスターである男の言いつけを守っているらしい。
「苦しい方……」
 言われてみればそうだった。どうせ死ぬのなら、焼けて死のうが、キャスターに殺されようが一緒だ。すっぱりと殺されるのであれば、きっとキャスターに殺された方がマシに見えたのかも知れない。
 手短に済むならって言ったのになあ、とケイは口を開いた。
「そっちの方がマシだって思ったから。どうせ死ぬんだったら、知らない誰かに押しつけられるより、自分で選んだ方がマシだって」
 そこで、初めてシルバーリングの微笑み意外の表情を見た。驚いたように目を丸くしたよう吸うが、幼い子供のように見えた。
「そう……」
 答えを間違えたかと身構えたが、すぐに彼女は見慣れた微笑みを浮かべて、そうなのね、と頷く。銀色の風が興奮したように吹き抜けて、徐々に炎が風に呑まれていった。
「ありがとう、いい話を聞けたわ。これは、ほんのお礼よ」
 ちかりと赤い光が輝く。咄嗟にセイバーを呼べば、軽やかに跳躍してケイの側へ戻ってきた。焦ったようにキャスターが立ち上がり、セイバーと同じく男がキャスターの元へ戻る。
 右手首の上に刻まれた赤い刻印。毒々しい赤色が、宝石のように一角を輝かせていた。
「令呪をひとつあげるわ、アーチャー。あの子の悪夢は、あってはならないもの。幻想は幻想のまま。空想は空想のまま。現実に踏み込むことは、許されない」
「だーっ、もう! それ使うときは相談してからにしろって言いませんでしたかねえ、オレ! けどまあ、幻想空想が現実になるのが良くねえってのは賛成だ。あのキャスターの幻は悪質だってのに、よくもまあ素面で見破ったなぁ、アンタ」
 するりと緑衣のアーチャーが姿を現し、矢をつがえる。いつぞやの振り回されがちな苦労性名側面はなりを潜め、狩人のごとき鋭い視線を向けていた。
「ま、オレに魔術をたたき壊すなんて芸当ができるはずもなく……ってのは単独での話だ。認めたくは無いですけど、マスターとの相性自体はそれなりに良くてね」
 矢が放たれる。男に当たるわけでも、キャスターに当たるわけでも無く、矢は空で四散した。街灯の奥から静かな殺意が覗いている。
「夢の時間はおしまいだ。少なくともこの国に戦争はねえし、戦火も当然無い。アンタの妄執は結構だが、それを他人に押しつけんなっての」
 アーチャーの言葉を受けて、男の表情が明確に変わった。淀んだ青い目が見開かれ、みるみるうちに憤怒と絶望に彩られていく。
 それが、それが――
「セイバー、構えて」
 ――戦況の変化などではなく。
 あの男の地雷を踏み抜いたからだ、となぜだか確信してしまった。
「はい、マスター。 ……レイたちの方針には背くのでしょうが――可能であれば、ここで終わらせます」
 シルバーリングはただまっすぐに、アーチャーとセイバーは哀れみにも似た目を向けている。
 少女はまるで戦火に溶けるように悲痛な表情を浮かべ、病人服を着た痩せこけた姿になり、普通の現代に居るような少女の姿を取り、そして最後にはまるで少年兵のような姿を取って、満面の笑みを浮かべて見せた。
 令呪の支援を受けた矢が強固な幻想を打ち砕く。幻想から生まれ出で、現実にくさびを打ち込んだ女が空想から現実を引き摺り出すのに苦労するわけも無いのだ。
「ねえ、セイバー。あのさ、さっきまで何を見てたの?」
「それ、は……」
 純真な目が揺らぐ。悲しみと憐憫を浮かべて、最後には凜とした騎士の表情に変わった。
 こういうとき、彼女はただの純粋で善良な少女では無いのだな、と思う。
「ある少女の悲しみを。ある子供の苦しみを」
 炎が揺れている。過剰な熱を孕んだそれは、少女を焼いた炎そのものだ。
「そして、ある男の――理想と、挫折を、見ました。ですから、早く幕を引いてやりたい、と思ったのです。傲慢でも、余計なお世話でもいい。けれど、彼らが見ている悪夢は、あまりにも残酷で」
 悪夢から目を覚ます方法が生を手放すしか無いと確信できてしまったから、そうするしかないのだと。純白の騎士姫はそう語る。
 それを、そっか、と頷いた。そこまで世話をしてやる必要があるだろうか、と思う。ケイとセイバーにとってあくまで彼らは他人だ。なんなら聖杯戦争においては敵でさえある。
 アーチャーとシルバーリングはなにやら関わりがあるようだが、それとてケイたちには関係が無いのだ。
「まあ、やらないとやられちゃいそうだし! アーチャーはずっと後方支援専門だって言ってたし、よろしく、セイバー」
「はい、マスター! 最善を尽くします!」
「おっ、そちらさんもやる気ってワケ。そりゃいいや、オレも楽が出来るってもんだ」
 アーチャーが二本目をつがえると同時に、男の姿が消えた。炎が迫る。それをシルバーリングが銀の風で払って、背後に迫った棍をセイバーが弾き飛ばした。
 武器を飛ばしたのだ。それでおしまいとなればいい。だが理性のたがを外したらしい男は、出血をいとわずセイバーの剣を握った。
「させっかよ!」
「アーチャー! 礼を言います」
 男の腕が不気味に光り、あらぬエネルギーを放出し始めたタイミングで矢が飛んだ。咄嗟に男が剣を離し、距離を取る。
 自爆しようとしたらしい。男は平然とした顔をしている。先ほどの激情はすっぽりと抜け落ちていて不気味だった。
「さて、と。英雄の亡霊はアーチャーたちに任せましょう。わたしたちは、こちらを相手してあげないと、ね」
「えっ、俺も……俺もかぁ……」
「ふふ、あたしの遊びあいてははお姉さんたちなのね。とってもたのしみだわ!」
 とん、と少女が跳ねる。きゃらきゃらと鈴の音のような笑い声の中に、悲痛な悲鳴がこだましていた。
「酷い夢ね」
「そうかしら。あなたからみたらそうなのかもね。あたしは大人の夢ですもの。ひとじゃないあなたは、きっとわからないんだわ」
 天真爛漫な少女の声から、一転して冷え切ったトーンでそんな言葉が落とされた。宙高く飛んだ少女があまりにも似合わない無骨な銃を掲げる。
 どおん、と無邪気な声と共に黒金の雨が降り注いだ。それを、シルバーリングは涼しい顔をして受けきっている。
 ケイは完全にお荷物である。そもそもケイはまともな魔術の訓練を受けていないのだ。辛うじて身体強化がつかえるくらいで、それ以外はからっきし。
 それでもこの場に立つのなら、棒立ちなのは駄目だろう、とへたり込むことだけはしなかった。
(戦争と、大人と、子供と――夢。大人の夢、ってなんだろう)
 少女が銃火器を振るっている。日曜日の朝に放映しているアニメのような非現実さだった。それは子供が振るうべきでは無いんだ、という男の言葉を思い出す。

 駅前で、子供を探していた姿。
 公園で、遊んでいる彼女を見守っていた姿。
 暴力は子供が振るうべきでは無いと下がらせた言葉。

 そうして、今や彼女は暴力の代名詞たる兵器をおもちゃのように振るっている。一方で、アーチャーとセイバーが相手取っている男は棍と体術しか使っていなかった。
 アンバランスだな、とケイはゆっくりと一歩前に出た。

 天秤が揺れる。秤が揺れる。
「――『問う、』」
 その全てが、嘘では無い、と思った。だからセイバーも心を砕いたのだ。
「『汝の軽重を、問う』」
 眠っていた魔術回路に魔力が巡る。異常に気がついた男がこちらへ急接近したが、アーチャーの矢とセイバーに防がれていた。
 それはある種ケイが龍童に抱いていた疑問と同じものだ。致命的にずれている。当人の理想と現実が乖離しすぎている。ただ当たり前を望んだだけなのに、現実がそれを許さなかった。
 あの不器用な青年は、傍観を選んだ。この男は何を選んだのだろう。
「貴方が重んじるものは、正義か、平穏か?」

 火傷の跡を見た。青い目は苦悶の色に沈んでいる。ずっとそんな様子で、陰惨な結末を迎えた村人の始末をしている間中葬式にでも居るような顔をしていた。
 問いには男は不可解そうな顔で返していた。答えははじめから期待はしていなかった。
 ただ、ずっと苦悶の表情を浮かべたまま、奥歯を砕くほどにかみしめて、無辜の人間を屠っていた。魔術師ならばそんなものだと切り捨ててしまえば良いものを、彼はそうしなかった。
 主犯たる人間だったものに憎悪の目を向けていた。干からびた赤子に悲痛な表情を浮かべていた。子を守るように蹲った母親だったものに黙祷していた。
 すまなかった、という、小さな謝罪を聞いた。
「名を聞いていなかったな。私はクラウゼヴィッッツという。ルドルフ・クラウゼヴィッツだ」
 男の声に顔を上げた。深海の色の目が自分へ向けられている。龍童は、ああ、と頷いた。律儀だな、と口を開く。
「龍童令」
「日本人か? 珍しいな」
「こんな職業と立場で国籍に意味なんて無いだろうよ」
「……言われてみればその通りだ。忘れてくれ」
 ルドルフは肩をすくめると、陰惨な風景を目に焼き付けるように村だった場所を見つめていた。
 古びた金貨の色の髪には乾いて赤茶色になった液体がこびりついている。目を逸らしたって誰も責めないだろうに、必要の無い重荷を背負っているように見えた。
 救えるのならば救いたかったと叫んでいるように見えた。実際、彼はそのように振る舞っていた。無自覚なのだろう。
 正義を何故求めたのか聞いたとき、男は答える義理は無いと突き放した。夢想家というわけでは無いらしい。
 むしろ、夢を追いかけて現実に打ち砕かれた者の回答だった。似たような人間を過去に何度か見送ったことがある。
 この男は、その中でも格別に不器用な部類に思えた。
(だから何だって言うんだ。何もしてやれないくせに。無責任に他人に同情するなんて、んな資格無いだろうに)
 ああ、それでも、と龍童は目を閉じる。それでも、そんな不確かな理想を追いかけることが出来たなんて――なんてうらやましいことだろう。

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