Fate/Abendrot – 5

幕間

槍主従と剣主従それぞれの話。


 積み上がった大判の冊子の一冊を手に取って、それからそれを積み上げた本人を見上げた。不機嫌そうな顔。眉間にしわが寄っていて、口は一文字に結ばれている。
 龍童は面倒くさそうに、コレで勉強でもしていろ、と言った。中学校から高校にかけての教科書の山である。学校に行けていない、と言ったことを気にしていたのかもしれない。隣でセイバーが物珍しそうに教科書の山の一番上にある教科書を手に取って読んでいた。
「これが現代の教本、ですか。ほほう、わかりやすく、体系化されているのですね」
「一応中学までの教育は受けて……まあほぼ自習だったけど……」
「自習だと何か良くないのですか?」
「……十五過ぎてから教育受けてないから忘れてる気がする」
「なるほど。それでは復習から、ですね!」
 にこにこと楽しそうなセイバーを見て、多分こういうことをしている場合ではないのでは無いか、と思って龍童を見上げた。案の定頭が痛そうな顔をしている。いつもこういう表情を浮かべているなこの人、と思ったことをしまい込んで、礼を述べる。
 そういう呑気なやりとりをしている内に、ランサーが霊体化を解いて教科書の山を一瞥していた。
「結局用意したんですか。そんなんだから胃痛治らないんすよ」
「うるさいな」
「はいはい、黙ります。全く難儀な性格してますよね」
「何一つ黙ってないじゃねえか」
「すんません、反省してます」
 絶対反省していない。龍童は心底あきれかえったようなため息をついて、それからひらひらとランサーを追い払うように手を振っていた。
「……まあ、いいよ。セイバー陣営がここにいるってだけで牽制になるから」
「餌になる可能性もありますけどね」
「ランサー」
「うっす。黙ります」
 するりと霊体化してランサーの姿が消える。セイバーがランサーがいた場所と龍童を交互に見て、それから仲がいいのですね、と微笑んだ。
「仲は良くない」
 そういう所はきっちり否定するらしかった。

 昼の街を歩く。たった数日ぶりだというのに、酷く懐かしいような気がした。人の記憶などそのようなものなのだろう。元より、この街に愛着は無いのだ。ただ流れ着いて、何となく居座っているだけだった。
 何も無い街なのだ。都市部から離れた郊外で、主要な駅は一つだけ。住宅街から駅が微妙に離れているせいで何とも使いづらい。それでも広い公園があるのと、比較的新しい建物が多いことから、この街には新しく引っ越してきたものも多い。特に、ファミリー層が多いらしい。そんなことをどこかで見た。
 酷い話だ、と思う。多かれ少なかれ、一般人は犠牲になるのだろう。犠牲になる誰かは、きっと誰かの家族で在り、友人で在り、代えの効かない誰かであるのだ。
 それを、自分は、きっと。
 息苦しさに蓋をする。生まれてこの方ずっと付き合ってきたそれから目を逸らす。そうでも無ければ叫び出しそうだった。
「セイバーは穏健派でよかったすね」
 するり、とランサーが霊体化を解きながらそう言う。傾向として、ランサーは念話よりもこうして声で会話することを好んでいた。
 そうだな、と返事をする。鼎ケイも、セイバーも、二人とも争いごとを好む性質の人間では無かった。特にセイバーは、人の善性を詰め込んだような性格をしているように見える。疑うよりは信じたい。卑怯なことをするよりは正々堂々としていたい。そういう確固たる意思がある。
 対して、ケイはそうでは無い。鼎の家の厄ネタとして噂程度には聞いたことがある少年だった。先祖返りでもしたのだろう。龍童は子細は知らない。ただ、セイバーとは違う行動基準で動いている。そこに善や悪といった概念はあまり関係ないように思えた。
「理由が無ければこっちと敵対することもそうないだろうし、な。そういう意味では早々に引き込めたのは良かったのかもしれない」
 息苦しい。言い訳めいた言葉を、ただランサーだけが聞いている。
「そうっすね。そういうことにしておきます」
 返された言葉に足を止める。どうしました、という言葉にまた足を動かした。
「言いたいことがあればはっきり言ってくれ」
「……はあ」
 無意識のうちに首元に伸びた手を引っ込める。ランサーは面倒くさそうな返事をしながら、それでいて表情は変わらない。
 彼は、あまり表情を表に出すことは無い。そういう意味で、付き合いは楽だった。こういう時は、どうにも気まずさがある。身勝手な話だ、と目を逸らした。
「言ってもいいんですけど、絶対逆ギレしますよね、アンタ」
 言われたことをかみ砕くのに数秒。理解するのにもう数秒。そうして言われたことを飲み込んでから、龍童は思わず吹き出していた。
 なるほど確かにそうだ。自分はそういう性格をしている。
「逆ギレしない確約は出来ないが善処はする」
「遠回しの『いいえ』じゃねえっすか」
 ランサーはランサーで意外そうな顔をして、それからくつくつと喉を鳴らすような笑い声を漏らした。
 言いたいことは予想がついている。そういう性格だからずっと息苦しい。いつも水のそこにいるような閉塞感がある。抱えなくていい感傷で、覚える必要の無い罪悪感を、ずっと大切に持ち続けている。
「いや、反抗期の子供みたいですよね」
「――……なんて?」
 自覚はあるが、よもやそのようなたとえをされるとは流石に思っていなかったので、相当に素っ頓狂な声が出た。
「そういやマスターっていくつなんです。俺は……まあサーヴァント何でこの肉体がいくつかは微妙ですけど」
「知らん、覚えてない。少なくとも江戸の末期は生きたか」
「……マジすか」
「ああ、うん。言ってなかったか」
「言われてないですね」
 ジジィじゃねえか、という呟きをしっかり拾って、それはそうだね、と苦笑した。それも――ランサーには意外に見えたらしかった。
 肩の力が抜けたのかもしれない。酷く張り詰めた糸が不意に緩んだような脱力感があった。サーヴァントを召喚してしまってからと言うものの、要らぬ責任とまだ発生もしていない未来への罪悪で潰されそうだった。だから、いいことではあったのだろう。
 ふと、言いようのない不安に襲われて後ろを振り返る。閑静な住宅街には通行人さえいない。平日の昼間などそんなものだろう。このまま駅にでも行けば人は増えるのだろうが、このあたりはいつもこうだった。
「肉としての年齢自体は二十前半だろうな」
 そう会話を続けながら、探るように魔力を薄く広く伸ばす。牽制にもなるし、挑発にもなるので龍童は多用している索敵だった。もっとも、魔力を無駄に消費するので、メアリーあたりが聞けば魔力の無駄遣い過ぎると発狂されることだろう。
「へえ、全盛期くらいで固定されるんすね」
「そっちの方が都合がいいからだろうよ。こんな寿命、クソ食らえだが」
 薄い雲が晴れた空を覆っている。僅かに透けた水色がくすんで見える。
 ランサーは、それに否定は返さずに、そんなもんすか、と曖昧な同意だけを返した。
 激動の時代を生きた自覚がある。ずっと閉じていた国に風穴が空いて、瞬く間に文明だって開いて、そして血と鉄の雨が降った。長い冬を過ごしてきたようにも思えるし、今思えば一瞬であったようにも思える。いずれも、龍童にとってはどうでもいいことだった。
 何せ、龍童令という人間が何を感じようが関係ないのだ。何を思って、感じて、行動したところで何一つだって変わらない。手を伸ばしたって誰も救えなかったし、何も滅ぼせなかった。
 暴力装置にも等しい力を与えられながら、この過剰とも言える魔力の使い道は自己防衛にしか使えない。宝の持ち腐れだ、と吐き捨てた。
「そういや、駅の方ってあんまりいってないですよね」
「え? ああ、まあ、そりゃあ行ってない。戦闘になる可能性が低いからな」
「そういう所に罠とか張ってる可能性はあるんじゃないすか。キャスターとか」
 なるほど、と頷いた。長い前髪に隠れた黒い目がこちらを窺うように見ている。召喚してから一週間と数日ではあるが、それだけの間四六時中一緒にいればそれなりに人となりもしれてくる。
「遊びたいだけだろお前」
「そうすね」
「せめて否定をしろ」
「すんません」
 何一つ反省していない詫びを聞いた。本日二度目である。
 繁華街にキャスターが罠を張っている可能性は、なるほど有り得るだろう。そういうクラスだ。アサシンがいれば、そういう不用意なマスターを狙った罠を張っている可能性があったが、なにせ召喚そのものが失敗している。聖杯にきっちり魔力が溜まっている以上、アサシンとライダーの枠は無いと見ていい。
 その上で、駅方面でマスターや一般人を狙った仕掛けがある可能性は限りなく低いだろう、と龍童は判断する。
「あれは、無辜の人間が巻き込まれることに耐えられない人間だよ」
「そうですかね。前やり合ったときは、結構非人間じみてたっつーか」
「そう繕ってるだけだ。普通の家庭に生まれて、普通の生を送ってきた。運が悪くて、あんな道を選んだだけ」
 古びた金貨の髪色の男を思い返す。砂糖菓子のような容姿をしたキャスターを従えたマスターは、誰よりも残忍そうな振りをして、恐らく今回の聖杯戦争においては誰よりも『善』を捨てられなかった男だった。
 知り合い多いですね、とランサーが呆れ混じりに言う。言われてみれば確かにそうだな、と頷いた。そういう巡り合わせなのかもしれない。
 それも、やはりどうでもいい、と龍童は片付ける。
 風景が徐々に切り替わっていく。住宅街から徐々に小さな店舗が増え始め、それに伴い人通りも増えていった。その様を捉えながら、索敵だけは継続していた。可能性は低いだろうとは言ったが、全くないとも言い切れないのも事実だった。
 仮にキャスター陣営がそうしなかったとして、別の陣営がそうしないとも限らない。もっと言えば、聖杯戦争に参加しているマスターとサーヴァント以外の魔術師が何かしらやらかす可能性だってあった。
 なので、一応警戒は続けていた。どうせ終わりはしないだろう、という慢心もあった。今までがずっとそうであったからだ。死にたいときに死にきれず、結局こうして生き延びている。
 そこまで考えて、でも、と泣きじゃくっている頭の中の小さな声に眉を寄せた。
(何だ、俺は、まだ……この後に及んで、まだ)
 誰かに情を覚える、なんてこと。
 そんな心が残っていたのだと、酷く恨めしく思った。

 教科書を捲る。学生向けにわかりやすく記述されたそれを見て、古い記憶を掘り返す。意外と覚えているものだと中学校分の教科書を床に降ろした。
「もう良いのですか?」
「うん。結構おぼえてるもんだね」
「それだけマスターが真面目に取り組んだのでしょう。良いことです」
 セイバーは楽しそうに高校向けの教科書を読み込んでいる。手に持っているのは現代文の教科書だった。大方、取り上げられている物語を読み物として読んでいるのだろう。
「……龍童さんたち、まだしばらくは帰ってこないかな」
「どうでしょう。ですが、先ほどの言い方だと少し遠出するのでは無いでしょうか」
 龍童とランサー(家を出るときは霊体化していたが)は、先ほど出かけてくると言って家を出ている。大方、様子見だろう、というのがセイバーの見立てだった。実際、あのバーサーカーに襲われた夜の日も、彼らは見回りをしていてああなったらしかった。
 自分であれば、と秤を揺らす。多分、ここを無防備にはしない。龍童が自分たちをかくまったのだって、きっとある程度の思惑があってのことだろう。
 牽制になる、と言うのもそうだし、餌になる、と言うのもそうだ。この二つを秤に乗せたとき、今のところは前者の方が有利であると判じたのだろう。聖杯戦争の序盤は様子見が基本で、わざわざ藪をつついて蛇を出すくらいなら、とするのが基本というのもうなずけた。
 それでも、自分たちが龍童を裏切らないとは限らない。特に、あのランサーはきっとそういったことに多少明るいのだと思う、とケイは考察する。ごく短い間ではあるが、少なくともケイはランサーが龍童の判断に対して口を挟む姿をほぼ見ていない。それこそ、ケイを自分の拠点に招いたときと、シルバーリングへの攻撃を止めたときぐらいだった。
「……まあいっか。聞かれて困る話でもないし」
「すりあわせ、ですね?」
「そんなところ。そういう意味もあって俺たちは留守番なんだろうし」
「分かりました。それではしばしの間、歓談といきましょう」
 セイバーが頷いて、教科書をぱたんと閉じる。なんだかんだでそういう時間が無かったのだ。いい機会だろう。
「それでは、その、マスター。前々から気になってはいたのですが、その……ご実家は、よろしいのでしょうか」
「え? ああー……」
 先に口を開いたのはセイバーだった。表情から察するに、ずっと気になっていたが中々聞くタイミングが無かったのだろう。案ずるような、心配するような、そういう表情に曖昧な笑みを浮かべた。
 気にする必要が無い。家は倒壊して、恐らく今頃は魔術師達によってつじつま合わせがされることだろう。どうあがいたって、サーヴァント同士の激突で倒壊しました、なんてこと、現代の警察に明かせる訳もない。
 ケイはあの家ではいないも同然の扱いで、要するに居ても居なくても変わらない存在だった。だから、当然天秤は動かない。
 それをそのまま言っていいものかどうか、とケイは目を逸らして、言わない方が良さそうだ、と再度セイバーを見る。
 疑うことを知らなさそうな、純真な目だった。自分はどこで疑うことを覚えただろう、と回想する。分かるわけも無いことだった。
「今あそこに戻っても、多分俺は居ないものとして扱われるだろうし。それに、上のことは何も知らないんだよね。だから、今戻ってもどうすればいいか分からないから動けない、が正しいのかも」
「上、ですか」
「そう、上。地下は俺の家で、あと物置。一階から上が、鼎の魔術師の住処」
 嘘では無い。鼎の魔術師が生き残っていたところで、きっとケイの生死は気にしない。なんなら、姿が見えないことを良しとさえするだろう。
 だから戻らない。セイバーが納得する落とし所としてはそんなところだろう。
 それを、セイバーは、なぜだか酷く苦しそうな表情で聞いていた。
「ああ、別に虐待を受けてた、とかはないんだよ。魔術師にとって、跡取りってこの世の全てみたいなところあるし。俺はその跡取りにどうやってもなれなかったから、地下に居た、というだけ。ご飯は出されてたし、基本的に望むものは与えられたし。外に出なかったのは、俺の意思。別に外出禁止なんて言われてなかったからね」
 ただそうする理由が無かった。ケイが外に出なかったのは本当にそれだけだった。
 ああ、とそこまで話してから思い出す。あの騒ぎで雇っていた『表舞台用の人間』はどうなっただろう。鼎の家の魔術師は逃げおおせた可能性は大いにあるが、ただ魔術世界を知っているだけのただの一般人があの災害のような夜を生き延びられたかというと、怪しいだろう。
 いい人ではあったな、と思考を終わらせる。それ以上の感傷はなかった。
「それ、は――あまりに、人間の生き方、としては」
「家畜っぽい?」
「いえ! そこまでは言ってないです! ……マスターは、納得されているのですか。そのような扱いを受けて、居ないものとして、扱われ続ける、等と」
 はて、と目を瞬かせる。次いで、なるほど、と頷いた。
「納得はしてないよ。俺、結構やりたいことはあるんだよね。ただ、俺のやりたいことと、それに伴う労力とか準備とか、後は周りの影響とかさ。そういうのを天秤に乗せたとき、やっぱり後者の方が『重たい』んだ。だからやらなかっただけ」
「納得、されてなかったのですか?」
「してないしてない。ある意味ではしてたかもしれないけど。だって魔術師としては合理的でしょ。そういう意味では納得してるけど、鼎ケイという人間としては理不尽だって思う」
 けらけらと笑い飛ばしながら言った。セイバーはそれをどこか安堵したような表情で聞いていた。なるほど確かに誤解を招く言い方だったな、と内心で反省する。
 ケイの『秤』と『感情』は別物だ。行動基準として秤が先にあるだけで、ケイ個人の感情は正しく機能している。理不尽だと嘆き悲しむ心もあれば、楽しいと弾む心もある。要は、理性と感情をどちらに重きを置くか、と言う話なのだ。ケイはたまたま、理性を常に行動基準にしているだけ。
 それだって、とケイは自覚している。そこに感情や個人の主観が入らないとも言い切れない。それはケイという個人の限界であり、万人万象にとっての公正な秤であることはきっとありえない。人間というのはそういうものだ。絶対の天秤を持つ人間が本当にいるとするのなら、それはきっと人間と言うよりはただの裁定装置と呼ぶべきなのだろう。
「そう、ですか。それなら、その、少し安心しました。ずっと気になっていたのです。マスターのご実家があのようなことになったのに、気にするそぶりは全然無くて。むしろ、ここにいる貴方は楽しそうで」
「まあ、楽しいし。こうやって誰かと長く話をするなんて初めてだ」
「では、もっと話しましょう! これから先、戦い抜くためにもお互いを知ることは必須、ですからね」
 セイバーの楽しそうな緑色の目を見る。そうだね、と頷きながら、理性の天秤が冷静に声を落としている。
(それでも、君は何一つ君のことを語らない)
 何かを言うつもりはなかった。話すつもりが無いならば尋ねることはしないだろう。それに、時々罪悪感をにじませたかのような影を落とす瞬間があった。そういった感情を包み隠すのはまだ苦手らしい。
 ならば何も言うまい、と天秤が傾く。ただ話せない理由があるだけか、あるいは話す踏ん切りがつかないだけか、それはどうでもいいことだった。少なくとも、目の前の暴力装置は自分に比較的好意的で、害意はない。それが確定事項であると判断できるだけで十分だとケイは判断する。
 日が高く昇っていた。まだ当分龍童たちも返っては来ないだろう。仮に戻ってきていたとて、聞かれても問題ない話だった。

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