そして記憶の欠片を握る

髪永さん宅の40-Nくん(シオンくん)をお借りして常設任務パトロールなSSです。
よく見てみれば二人とも過去の記憶に執着しているな?とも思ったのでそのあたりをちまちま盛り込むなど……


 ガシャン、と大きめの音がして手を止めた。立てかけた鉄塊が落ちればそれくらいの音には鳴るのだろう。部屋に乱雑に置かれっぱなしの、決して手入れされたとは言いがたい両刃の剣に目を向けて、それから剣立てに放り込んだ。この武器もそろそろ寿命だろう。なくしてしまう前に、鋳つぶして別のことに使ってもらった方がマシに違いなかった。
(今日のペア……は近接型だったっけ。なら弓も持ってくか)
 端末を起動させて、表示された名前を読み取る。いかにも人工生命体です、といった表示に、一瞬だけうらやましさにも似た感情を覚えて首を振った。
 矢筒を腰に下げ、ボウガンを左手首に装着する。手首の可動域は狭まるが、代わりに中距離での攻撃手段が増えるので、まあ悪くはない装備で気に入っていた。武器は剣の代わりに槍を持ち出す。リーチが長く、出来ることも多い。ペアの陽炎がどちらかと言えばリーチの短い武器を扱うのであれば、それを補える方を握った方が良いだろう。幸い、知介は剣も槍も同じくらいには扱えた。

「あら? 知介じゃん。何してんの?」
「待ちぼうけだ。ペアが来てないんで外に出られん」
「そうなんだ。あたしは今帰ったとこー。うらやましいでしょ」
「やかましいわとっとと帰れ」
 言われなくてもそうするし、とひらひらと髪を遊ばせながら大柄な人工生命体が通り過ぎていく。既知である彼女は、自分よりも遙かにスペックの勝る戦闘型の個体だ。水辺近辺が開放されたことにより、最近は忙しくしているらしい。良いこと、ではあるのだろう。紛れもなく。
 ぐるりと胃の付近が嫌な動き方をしたのを感じて、思考をやめた。
 端末を開く。今回の任務はただの哨戒――パトロールの任務で、基本的には陽炎が入れ替わるように任務に入る。つまり、もうそろそろ前の当番が帰ってきて、入れ替わるように自分たちが出撃する手はずになる。
 別に少し時刻がずれたくらいであれば、ただのパトロール故に何も言われない。実際、不慮の事故や予期せぬ事態で出撃が遅れるケースも全くないわけでは無いのだ。それを許容出来ないほど今は切羽詰まってない。
 そうしてぼうっと待っている内に、かつんかつつん、と硬い足音がして顔を上げた。
「……」
「……今日のペアであってるか?」
「え? ……多分」
[多分ではありません。そうです。既に任務開始時刻超過寸前です。速やかに自己紹介を行ってください、40-N。]
 機械音に目を瞬かせて、それから長身の陽炎をまじまじと見てしまい、視線を逸らした。
 長身と長髪。先ほどの音声は上方から流れていたから、恐らくは身につけているヘッドホンかグラスか、それか見えないところに身につけている何かから発せられたのだろう。
「今日のペアの、知介だ。よろしく」
「40-N……よろ、しく……?」
 フォーティーエヌ、と名乗った彼(あるいは彼女)は随分と呆けた様子のまま、知介が行った動作を真似るように手を出すだけ出して止まった。何をどう見ても握手寸前でフリーズしているとんちんかんコンビである。
 僅かに悩んだ後、こちらから軽く手を握る。心底不思議そうにするわけでもなく、ただ起こっている事象を眺めているだけのように見える陽炎に、内心で小さく息を吐いた。
 何事もなく終われば良いが、とうっすらと揺蕩う嫌な予感に、知らず眉を寄せていた。

 結局ぎりぎり任務時刻はセーフであった。40-Nは、動作がゆっくりと言うよりは、動作の開始がどうにももたつく嫌いがある。それを逐一急かしていたあの機械音のおかげだろう。何者かは知らないが、まあ大方この人工生命体とセットになっている何かか、後付けされた何かだ。深入りする必要も無い、と口には出さなかった。
「お前、パトロール任務は初めてって聞いたが」
「……」
「聞いてるか?」
「……あ。うん」
 パトロール任務は比較的難易度の低い任務だ。突発戦闘の恐れこそあるが、所詮は聖樹周辺の任務で、陽炎から見れば安全地帯問いって差し支えない範囲とその少し先を見て回るだけの任務にすぎない。
 だから、少しだけ違和感があった。あの戦闘特化のラウピティアやツバサでさえパトロールから始めたのだ。普通であれば、討伐任務や救援任務よりも先に経験する。そういった任務が未経験というのは、どうにも違和感が先に立つ。
「戦闘経験はあるんだよな? 武器からして近接戦闘主体って認識で構わないか」
「え、えっと……お、オペレーター」
 違和感を埋めるべく言葉を重ねたが、40-Nは言葉に詰まった後、縋るようにそんなことを言った。オペレーター、と拾った音に、あの機械音か、と納得する。認識正しく、一拍遅れて先ほど聞いた機械音声が流れてきた。
[……その認識で間違いありません。それから40-N、今のは「はい」か「いいえ」で答えられる質問です。これくらいは回答できるようになさい。40-N所持の武器で近接戦闘以外は不可能です]
 想像以上にきつめのお言葉であった。出撃直前の時も思ったが、当たりが強いと言うよりは口うるさい母親のようだ。それを望んでいる当たり、やはり彼も人工生命体らしい歪さを抱えているのだろう。そんな歪さを持っていない者も確かにいるのだろうが、きっと少数だ。
「ああ、レイピア以外は持ってないんだな。聞き方が悪かった。すまない」
「うん。レイピアしか、持ってない」
 おそらくは、額面以上の言葉は受け取れない。受け取る能力はあるのだろうが、あの機械音声の様子から察するに、その能力は学習中だろう。その様は、数は多くはないが見たことはあった。
「分かった。なら俺はお前に合わせて動く。万が一接敵したら、一度自由に動いてくれ。それを見て立ち回りを決める。まあ、そう出くわすことも無いとは思うが――」
「え、えっと」
「……早いか」
「多分……」
[知介、ですね? 申し訳ありませんが、今の話速では40-Nには処理が困難です。可能であれば、話題を寄り細かく区切っていただく、ないしはより簡潔に話して頂けると助かります。40-Nの都合にはなりますが、会話を主体とした情報交換自体は継続頂ければ]
「そっちは溌剌としてんのな」
 思わず口を開けば、なぜだか40-Nの方が頷いた。
 子供だと思った。深く沈めた古い記憶に重しを着けて沈め直しながら、自分よりずっと体格に恵まれている青年を見上げた。
 思うことがいくつもあって、そのいずれも言葉として形を成すことなく溜まっていく。そうして無かったことにし続けてきたわだかまりがまた一つ二つと積み上がっていく。今更、誤差のような量だった。
「戦闘になったら、俺がお前に合わせて動く」
「……うん」
「一度、自由に動いてくれ。状況が落ち着いたら反省会な」
「……分かった、と思う」
「まあ、いつも通りやってくれれば良いよ。もう三年は現場にいるんだろ」
「たぶん……」
[はい。40-Nは平時ではこのような感じで不安を覚えても無理はありませんが、戦闘用人工生命体としてもスペックは保証されています。ご安心を]
「そりゃどーも」
 40-Nはゆっくりと頷くと、すぐにぼうっと舌様子で遠くに目を向けていた。何も見ていないし、何も捉えてはいないような様子だった。瞑想ともおそらくは違う。思考が停止しているようにも見えるが、そういうわけでもないのだろう。
 ――関係の無いことだ。関わりの無いことだ。だから深入りなんてしない方が良かった。
 木漏れ日が揺れている。何度も踏まれて形成された道に不可思議な影を落としていた。晴れて入るが、木々のせいで視界は良くない。
 ただぼうっとしているだけでは、きっととっくに壊れている。そうして戻ってこなくなった『試作機』があったことも、まあそれなりには知っていた。
 三年現場にいていられるののならば、そこまで心配することもないのだろう。無用な心配、無用な心労だった。そんなことは、とっくに分かっていた。
 息を吸う。吐く。それを意識して繰り返す。もうちょっと適当にすれば良いのに、なんて忠言が通り過ぎては消えていった。
「そういえばさ」
 やめておけば良いものを、と理性が言っているくせに口からは言葉がすらすらと出てきた。
「お前は通称とか無いのか。開発コードが個体名称になってるやつは、大抵持ってるだろ」
「つう、しょう……?」
「機体名をもじったり、自分で勝手につけたり、色々。フォーティーエヌ、はいざって時に流石に呼びづらい」
「機体名……もじって……じぶん、で……えっと、えっと……」
 例えば、と口に出しかけてやめた。ここで他人の例を出すのは何となく混乱させるような気がしたのだ。かといって咄嗟に良い例が出るかというと出ない。
 機械音声は自発的なコミュニケーションを重要視しているのか、黙りこくったままだ。最終的に彼が助けを求めない限りは黙っているつもりなのだろう。
「お、オペレーター……!」
[……シオン、という通称があります。次からはこれを提示するように]
 パンクしたらしい。助けを求めるような声に、機械音声が応答する。淡々とした機械音声であるはずが、心なしか疲れているようにも聞こえた。
「! わかった。ツギハギ、おれは、シオン、って」
[知介です、40-N]
「良いよ、別に。分かれば良いんだ」
 そう、分かれば良い。ツギハギというのは首の縫合痕がそう見えたことに由来するものだろう。
 幼い、と言うのが感想だった。ともすれば子供よりも子供らしい。あまりにもまっさらで、まっさらすぎるが故に吸収が遅い。絶対に頼れると信頼できるものの導きがなければ、とっくに迷って死んでいる。そういう類の歪さがある。
(――俺が、人のことを言えるか? 未だ、過去の幻影に縛られている、俺が。それが真実正しい記憶かさえ判然としないって言うのに。ただはっきりと思い出せるというその一点のみにしがみついているっていうのに)
 こういうとき、こちらに強い興味の無い相手というのは楽だった。自分都合で更に自己嫌悪が進むが、代わりに迷惑はかけずに済む。
「シオン、だな。それじゃあ戦闘中はそれで」
「……」
「聞いてるか?」
[呼ばれています。応答なさい、40-N!]
「はっ」
「名前として認識してないな、さては」
 ああ、そういえば。言われてみれば、確かに彼の髪の色は紫苑の花の色にも似ているな、と思った。

 遠く、記憶の破片が跳ねている。捕まえようとしても捕まらず、待てど暮らせど集まる気配はない。手を伸ばしても、虚空を切るばかりで手応えはない。そもそも、そうやって手を伸ばしたことがあったかどうか。
「名前として認識してないな、さては」
「えっと……」
「咄嗟にお前を『シオン』と呼んだら反応はしてくれ。逼迫しているときにしか呼ばんだろうが」
「わ、わかった」
 自分よりずっと背丈の低い青年を見下ろす。首をぐるりと一周する縫合痕に目が行った。ツギハギ。首と身体が離れたことがあるのだろうか。でもそうしたら、こうして動いているものだろうか。ばちん、ぱちん、とおぼろげな破片が飛び散っては消えていく。つかめず終いの記憶に縋ろうにも、そこにないのならば縋りようがない。
 オペレーターAIはだんまりだ。目の前の青年は――名前はなんと言ったか――呆れたような表情を浮かべてこそいるが、言動は40-Nに合わせてくれている。おかげで、そこまで意思疎通に不便が発生することもなかった。
 オペレーターとは言えば、知介の方が40-Nに合わせて言語レベルを落としてくれているので、下手に口を出さない方が40-Nの自我形成の手助けになる、と判断しての沈黙である。時折奇妙な沈黙があるが、それは会話上の問題にはならない程度の頻度であったし、何より40-Nでは気付きようがない程度のものでもあった。
 無論、マッピングや位置情報、40-Nから得られる五感情報を元にした索敵は継続している。尤も、40-Nがいくらぼんやりとした幼子が如くと言っても、そこは戦闘用の人工生命体だ。敵性反応に全く気がつかない、ということは流石にない。
「その機械音声は必要なときにしか喋らないんだな」
「……あ、おれ?」
「お前以外に誰がいるんだ。流石に虚空に向かって話しかける趣味はないが」
「え……っと」
 知介はやはり困ったように眉を下げて、機械音声は、ともう一度繰り返す。
 辛抱強く、面倒見が良い。それと、恐らくはこういった精神的に幼い子供の扱いに慣れている、と判断する。繰り返し同じ発言を求められるのは、一般的な傾向から言えばそれなりに苦痛を与えるはずだ。それを、仕方がない、と受け入れながら繰り返すことが出来るのは、主に教育従事者や幼子の親を担う人間に多い。
 やはり口を挟むよりは、40-Nでは正しく回答が出来ない場合にのみ割り込む方が様々な面を考慮して効率が良い、と判断する。
「オペレーター、のこと?」
 こつん、とヘッドホンから小さな硬い音がした。40-Nが人差し指で示した時にの音であった。
 知介は、そこからか、と妙に納得したように頷いて、そうだ、と肯定する。
「いや、口を出すときはやかま……しっかり口出してくる割に、そんなに出てこないと思っただけだ」
「オペレーター……は、おれが……おれに……? えっと」
 言葉をまとめようとするたびに、何かが瞬いては過ぎ去っていく。聞いた当人は、ただじっと待っていた。そういったことに気がつく余裕もなく、ただ過ぎ去っていくものをたぐろうと思考に沈む。
「……そ、の」
「うん」
「えっと……?」
「…………そいつ、『オペレーター』はお前の案内係か?」
「あんない、がかり……う、ん?」
「なるほど。大体分かった」
 混乱させて悪かったな、となぜだか謝罪が飛んだ。その理由も良く分からなくて、しかし分かるような気がして、ただ首をかしげていた。『ツギハギ』は、決して笑顔とは言いがたい表情を浮かべている。口元は笑みの形を描いてはいたが、どうにも形容しがたい違和感があった。
 知っている、と思った。分からない、と諦めていた。ばちん、とはじける記憶の欠片を捕まえられれば分かるのだろうか、と思考の海に沈む。そうしている内に、自分が何を思って思考にふけったのかさえおぼろげになっていく。40-Nの思考は、その繰り返しだった。
「シオン、哨戒任務は初めてだったな」
 声に、目を瞬かせた。灰色の目に責めるような色は無い。責める、と思考してから、そんなことがあっただろうかと記憶の破片を探るように首をかしげた。
「聖者との戦闘経験は比較的豊富な割に、シオンはこういう任務はほぼ回されてないだろ」
「にん、む……」
「『聖者を倒せ』って目標がない任務だ、シオン」
「あ、うん。たぶん」
 それは、確かにない。咄嗟に探れる記憶の中には無かった。半分圧されるように頷いたが、オペレーターはだんまりのままだ。口を出さないと言うことは、多分そんなに間違ってはいないのっだろう。
 青年は僅かに眉を寄せて、それから、なるほどな、とだけ落とした。
 積極的に話しかけてきたように思えば、思い出したかのように黙っている。その理由が、姿が、見たことがあるような、無いような――ふらふらと漂ってははじけるそれを掴もうとして、やはり何も掴めやしなかった。

 そういう、とりとめの無い会話を繰り返していた。シオンは、シオンが――『ひらひら』は、首に巻いた黒い布を風に遊ばせながら、そうやって話しかける。
 風が吹いていた。頬をなでつけるそれが冷たくて、何となく目を細める。無意識に足に力を入れる。機械の足が応じるように地面に深めの跡をつけた。
 ぱちん、ばちん、と記憶が跳ねている。普段はさっぱりつかめやしない癖に、こういう時は踊るように集まってくる。
「敵影!」
 ガシャン、と機械音がした。それを合図に、冷えた空気を裂くように駆けた。オペレーターAIは戦闘行動に入ると同時にオフになる。戦闘中かのオペレーターと言えど、ノイズになったからだ。
 レイピアを握る。背筋を伸ばす。眼前にいくつかの光輪が目に入る。影は小さい。目玉型の聖者だ、と判断してさらに加速する。
「シオン!」
 怒声が耳に入った。
 ――シオンが、シオンは――そうやって彼はいつも話しかけて――ぱちん、ばちん、と記憶の欠片が散っている。
「目玉は無視しろ! 奥の天使型を狙え!」
「――……わかった」
 腰を落とす。機械の足で地面を抉る。加速する。前方から氷塊が迫って、破砕した。付近には短い矢が飛んでいる。
 氷属性の攻撃だった。不意に、近くに何かが倒れているのが見えて、天使型を狙え、という命令を優先させた。
 背後から一つ遅れて駆けてくる音が複数聞こえる。それらを振り切るように駆けた。迫る氷塊はことごとくが霧散する。いずれも付近には矢が飛んでいた。
 後ろでボウガンを構えながら、矢はそんなに無いんだよなと知介は舌打ちを鳴らしていた。
「負傷した翔一名確認。同行者の姿は視認不可、捜索は今は無理。シオンは奥の天使型を引きつけるとして」
 槍を振るう。目玉の上に浮いた忌々しい光輪をたたき壊す。穂先でなくとも、柄で殴り飛ばせばそれで事足りた。つくづく人間の腕力ではないのだな、と毎度のように思う。
(もう一人翔がいれば撤退してもらえたんだが、そうも行かないか)
 冷えた風が髪を揺らす。ボウガンに矢を入れ、天使型へ向けた。氷塊。狙って矢を放つ。シオンをすり抜けるように飛んで、氷を破砕する。視界に光るものがよぎって、咄嗟にわしづかみにして力の限り投げた。もう一つの目玉型に当たり、割れて、消える。これで破壊した目玉型は四つ。
 他に敵影は、と視線を巡らそうとしたところで、かひゅっ、と嫌な呼吸音がして下を向いた。
「い……ま、せん。天使、がた、が一。め、だまが、よん」
「――分かった」
 翔の状態を確認すれば、足部をざっくりと抉られているほか、頭から血を流していた。ただ、頭の傷は深くはない。倒れていた位置のすぐ近くに木が鎮座していた。恐らく、氷塊を足に受けて倒れた拍子に頭を打ったのだろう。意識がもうろうとしているのもそのためだろうが、もしもそうだとしたらあまり時間は無かった。
 帯を破り、怪我をしている方のももに巻き付けきつく縛る。気休めだが、無いよりはマシだろう。
 矢は残り一本。元々牽制用にしか持ってきていないのだ。ボウガンは念のため装着したまま、槍を握って駆ける。
 40-Nは既に天使型と接敵していた。レイピアの先が確実に急所を狙うが、そのたびに生成された氷塊に邪魔をされている。縦に横に動き回る40-Nを捉えこそ出来ないものの、逆に言えば防御行動としては成立していた。
 グラスには氷塊の生成予測と投擲の軌道予測が表示されている。それらを参考に回避行動を取り、合間を縫って攻勢に出る。剣を突き出す。降ろす。上げる。縦に、横に、とにかく動き続けて隙を探す。
「シオン、かがめ!」
「!」
 ぱちん、とはじけるような声に後退しながら身をかがめる。入れ替わるように、木の幹を蹴りつけて青年が体ごと槍を突き出す。氷塊。飛んでくるそれを避けることすらせず、穂先が天使型の胴体を抉った。ギィン、と嫌な音が響いている。赤い雫が白い背景に映えていた。
 蹴り出した足の反対側が地面居着くやいなや、40-Nは真横に蹴り出していた。レイピアを低く構える。グラス越しに輝く光輪を捉える。本体を損傷したせいか、氷塊の生成スピードは著しく低下していた。形成仕掛けの氷塊は間に合わないと判断し、そのまま加速する。剣先を突き出す。背筋を伸ばす。地面を蹴り上げる。切っ先が吸い込まれるように光輪を割った。
「沈黙確認。……あ、ひらひら」
 グラスの指示に従いくるりと振り向いた時、『ひらひら』は人を一つ担いでいた。帰るぞ、と短い言葉だけがかけられる。
「にんむ……」
「中断だ中断。コイツを早く本部に担ぎ込まねえと」
「本部、に……はこべば、いい?」
「ああ」
 『ひらひら』の表情は硬い。担いでいる『ひらひら』の腕からも赤い色がしみ出していた。元の衣服の色と交じって、黒っぽくも見える。
 担がれた方の顔色も、おそらくは良くない。グラスには危険を知らせる表示が付随していて、消える気配は一向にない。
 本部に帰らないといけない。危険な状態のものがいる。それから、それから?
「お、おぺれーたー……」
 パンクして、情けない声が出た。知介は僅かに諦めたような、その割には妙に穏やかな表情を浮かべて、すたすたと歩き出している。
[オペレーターAI、起動します。40-N、まずは知介を追いかけなさい! 置いて良かれ駆けていますよ。また迷子になるつもりですか?]
「わ、わかった」
[それから、あの翔は知介が運搬するよりも40-Nが運搬する方が早く本部へ到達できます。運搬役の交代を提言してください]
「あ、うん……」
 大股で数歩駆ける。『ひらひら』の表情はやはり硬いままだった。
 運搬、うんぱん、かわる、てーげん。言われた言葉を反芻する。てーげん、って何だっけ。口を開いて、言葉が散在した記憶をかき回すように飛び回ってまとまらない。
「シオン」
 しおん。シオン。紫苑。淡い紫色がはじけては消える。鮮烈な声が瞬いて、やはり消えていく。
「こいつ、運べるか?」
 はこぶ、運搬する、交代を――ぱちん、ぱちん、と記憶の欠片が音を立てている。頷けば、『ひらひら』の表情の硬さが少しだけ解けていた。
「本部まで、運ぶ……」
[道案内はこちらで行いま――]
「待て! 俺は担がなくて良い!」
「? はこぶって」
[待ちなさい40-N! 運ぶのは翔のみです! 陽炎は一人で帰還可能で――]
 ぐん、と胃が圧迫されると同時に、咄嗟に翔の身体を両腕で押さえつけた。流石は二百センチ超えているだけあって、人を縦に横積みしても地面にかする様子はない。いや、そういうことではなく。
「悪化してくれるなよ……」
[……知介、大変申し訳ないのですがそのままの方が早いのでこのまま40-Nの案内を継続します。よろしいですね?]
「よろしいもクソもないんだよなこれ」
「こ、こっちも大丈夫です。意識もはっきりしてき、ぐえっ!?」
「ヴッ!」
[40-N、全力疾走すれば良いというものではありません! 減速なさい!]
 オペレーターの制止虚しく、早くしなければ、しか考えていない40-Nにその声は届いておらず。
 ただグラスに表示される道筋に従って爆走していた。
 回収された翔は治療可能であったし、知介もちょっと乗り物酔いのような症状が出ただけで済んだのは後の話である。

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