灰寺さん宅のルナさんをお借りして、人工生命体たちの生と死についてのなんてことないおしゃべりなお話。
遠く遠く、空の隅っこに浮かぶ月を想う。知っている景色で、知らない景色だ。この身に埋め込まれた記憶は、されど記録以上の意味を持たない。そんなことは、何十年も前から知っていた。
ぽつぽつと考え事をしながらふらりと歩く。空想の太陽はとっくにお休みの時間で、代わりの証明がぽっかりと浮かんでいた。照り返しの光を模倣した虚像の光とは何とも滑稽なもの、と一瞬だけよぎった思考を追い払う。滑稽であっても、美しいものだ。その価値観だけは揺らがないし、揺らがせてはならない。そういう強迫観念にも似た意思が、うっすらと心の奥底に沈んでいる。
視線を落とせば鳥の足。右には鳥の羽、左には人の腕。ついた胴体も人のそれ。とんだキメラだと思わなくもないが、フィロソフィはこれが人の祈りの末の姿なのだと知っているから、それ以上は何とも思っていなかった。むしろ、美しいものであるとさえ考えている。
いや、思考を自ら誘導しているといった方が正しいのかもしれなかった。もっとも、追求する必要はない。己と他者を取り繕えればいいのだ。真の真とやらが、一体全体何に必要だというのだろう。
そうしてぽつりぽつりと歩きながら、見慣れた影を見つけて首をかしげた。
銀色の髪と、緑色の目。右の白目は黒く染まっており、もうほとんど見えていないのだという話だけは聞いている。己よりもずっと背が高く、そして年若い人工生命体だった。
月の名を冠する彼は、偽りの月夜の下で煙と共に佇んでいる。その様をそうっと窺って、そのままかつかつと足音を立てながら歩いて行った。案の定、元は翔であったという彼はあっさりと足音に気がついて不思議そうな目をこちらへ向ける。美しい顔立ちではあるが、どことなく幼さを覚えるのは己の生きた年数のせいか、あるいはまた別の理由か。どちらでもいいことだ。
「こんばんは、素敵な夜ね」
「こんばんは。キミは……夜の散歩といったところかな」
「ええ。『わたし』も寝てしまって、暇していたの。もし眠れないのなら、お話相手になってくださらない?」
そう問うて見れば、僅かに逡巡するような間を置いて、そういうことなら喜んで、と定型の返答が返ってきた。
フィロソフィが制作される際、モチーフになったのはミミズクだ。基本、夜間に行動する鳥であり、必然的にフィロソフィの目は夜でも光をよく拾う。つまるところ、並のヒューマンより夜目が利くのだ。
一瞬の逡巡で見せたのはためらいだろうか。僅かにさした陰を見逃せるほどフィロソフィは鈍くはなかったし、かといってわざわざ指摘するほど無遠慮というわけでもなかった。ただ、こういう場所だ。誰しも一つや二つ、抱え事ぐらいは在るだろうと――そういう前提だけ、なんとなく抱いている。
「そういえば、キミは確か元は陽炎だった、と言っていたと思うのだけれど」
「ええ、そうよ。でも、元は、って言うにはちょっと誇張が過ぎるかしら。あたしたち、その陽炎のメモリーは持っているけれど、全くの別物なのよ」
返しながら、意外に思う。ふわふわと漂う灰色の煙を吐き出しながら、そうなのかい、と声色だけは穏やかさを保ちながら青年は言う。
フィロソフィという存在と、ルナという人工生命体はさほど接点はない。ルナは確か大元のヒューマンの延長であるように制作された人工生命体であったはずだが、ちょうど彼が運び込まれたとき、フィロソフィは全く別の案件でかかりきりで、結局ろくに関われずじまいだったのだ。
死人の延長線上を歩く彼を見上げながら、死体を専門に解析を行う半獣の人工生命体をどう思うのだろうな、と薄く思考を巡らせながら口を開いた。
「あたしたちが生まれたのはただの後悔と郷愁なんだわ、きっと。そういう意味では、きっと貴方とおんなじね」
「そうかな。自ら望んでこう在ることと、誰かの意思を持ってここに立たされるのとでは、意味合いが違うように思えるけれど」
「そうね、それもそうだわ。でも、あたしたちは……」
そこまで言いかけてから、止める。『あたし』は『わたし』で、不可分の人格だ。されどそれだけ。同じ肉体を使っていると言うだけで、『あたし』と『わたし』は別々の心が在って、思考がある。そうね、ともう一度同じ言葉を落として、ルナが寄りかかっている手すりに腰をかけた。
「『あたし』は、同じだと思っているの」
ゆらゆらと煙が揺蕩っている。偽りの空には気持ち程度の藍色の雲が漂っていた。
「誰が望むかなんてきっと誤差なんだわ。生まれてしまったら、結局あたしたちはあたしたちの足で歩くしかないんだもの。その末に何があるのかも、最初に何があったのかも、知ろうとするのも、知らないままでいるのも、きっとあたしたちの思うがままなんだわ。 ……『あたし』、『わたし』とおんなじ身体だけれど、それでも何を打ち明けて何を秘密にするかだって思うがままなんだもの」
ぷらぷらと鳥の足を遊ばせた。こうして腰を落ち着ける行為はヒューマンのそれだというのに、視界に映るのは獣人のそれだというのだから奇妙なものだ。
貴方の見解を聞かせてくださる、と橙の目で緑色をのぞき込む。月の色を称えた髪を煙でぼかしながら、そうだね、とルナは煙を吐いた。ぷかぷかと穏やかに漂って、次第に煙の輪郭がほどけて消えていく。それが、何かに似ている気がして、フィロソフィはそうっと目をそらした。
「僕は、僕の意思でここに立っている。その自覚が確かにある。けれど、その意思さえ持てないうちに、それ以外の選択肢を取り上げてしまったとしたらどうだろう。それは、果たして同じだと言えるのかな。何を知ろうとするのか、どこへ向かおうとするのか――それらを誘導することは、あまりに容易い。それが、無垢なものであればあるほど、余計に」
「それは、貴方のお話?」
「いいや、キミの話を聞いてふと思っただけ」
「まあ、光栄ね」
誰の話か、はどうでもいいのだろう。別に、フィロソフィもルナも、己の価値観を理解してもらおうとは微塵も思っていない。ただそういう考え方があるのだ、というのを言葉として紡ぎながら整理しているだけ。ただの独白に近い。相手がいるから言葉は選ぶけれど、そこに意思疎通としての意図はほとんど存在していない。
「生命とは望まれるものかしら」
「……どうだろうね。ある視点から見れば、望む望まない以前に必要として発生するものだ。種を存続させるためには、同じ種としての生命を産み落とさなければ滅びてしまう」
「倫理や道徳から見れば、微妙なものね。望んで生まれたものもいるでしょうし、そうでもないものがいるのも当たり前だわ。『あたし』たちは望まれて生まれてきたけれど――うふふ、奇妙なものね。あたしたち、ちっとも自然に生まれたモノじゃないのに、当たり前にここにいるなんて。貴方の言葉を借りれば、あたしたちは『必要』に則って生まれた訳でもないのに、ね」
「当たり前に、かあ。本当にそうかな。僕たちのような人造の生命が当たり前にあれるのであれば、妙な信仰は生まれなかったと思うけれど……うーん、でも、ただの人を信仰対象にした記録が全くないわけでも無いか。必要云々については、まあ定義も目的も違うから。そこを一緒くたに話すのは危険ではないかな」
くるりと円筒状に巻かれたそれの先端を灰皿に押しつければ、じゅう、と小さな小さな音を立てて赤色の火が消え失せた。
「死とは意義のあるものだろうか」
生について問うならば、こちらも問わないとね、とルナは二本目を取り出して火をつける。赤い火がちろちろと視界の端で揺れていた。
「あるわ」
答えはほぼ断定だった。それに、ルナはさほど驚くこともなく、そうだね、と相づちが返る。
「意義でなくてもいいの。大義がなくたっていいの。けれど、そこに意味がないものはあってはならないのよ」
「はは、キミらしい答えだ」
「あたしはそうやって定義されたもの。そこだけは揺らがないし、揺らげないんだわ」
生を尊ぶのは『わたし』の役割で、死を尊ぶのは『あたし』の役割。そうやって思考を分割して、別の視点からずっと命というものを問うている。
だから、もしも今起きていたのが『わたし』であれば、最初の話題こそすっぱりと終わっていただろう。『わたし』が執着するのは生の意味で生の在り方だった。『あたし』が執着するものとは全くの逆。
ルナは――彼は、たぶんそのあわいだろう。というか、ほとんどの者は『あわい』の価値観を抱いている。フィロソフィのように思考を両極端に分割させている方が珍しいのだと思っている。
「死そのものも、死から生まれたものも、何一つだって否定できないし、してはならないの。無意味なものだってないし、そうあってはならないのよ」
「一種の強迫観念だね」
「ええ、そうあれかし、と定められたものだから。貴方もそうではないの? 己で己の定義を定めるのは、ヒトの常套手段だわ」
「――……まさか。そんな風に自己を強く保とうとするのは一部だよ。曖昧なままに歩くものだって少なくない」
「ふうん。なら、そうなのね」
その『曖昧さ』でさえ己が己に課したものだろうと思わなくもないが、つっこむ必要もないだろう。
ぷかぷかと煙と月が浮いている夜の無駄話は、おそらくはこれで打ち切りだ。なんとなく、そういう空気が流れている。
「もう寝……はしないんだっけ」
「ええ、あたし寝なくってもいいの。『わたし』に会ったら、よろしくね」
手すりから降りて、そんな言葉を吐いた。
「おやすみなさい、また明日」


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