映し映され移ろい歩く

ネロさん宅のベスさんをお借りして、任務と任務に関係ない写真とその意味についての他愛も無いお話。


 左の親指と右の人差し指を、左の人差し指と右の親指をくっつけて、その視覚の間から世界をのぞき込む。荒れ果てたコンクリートの塊、それらを飲み込まんとする茶と緑の侵蝕、それから突き刺すような青色と、その中にぷかぷかと脳天気に浮かぶ白い綿雲を見た。
 下方から上方へ指で作った四角形を動かして、それに合わせて視線も動かす。主役は何だろうか。緑に食われた廃墟? ペンキでむら無く塗られた青い空? それともその境目、青と緑と灰色のコントラスト? 夜明け色の目がそれぞれを映し出し、ううん、と気の抜けた声が漏れ出て、湿気った土の上を転がっていった。
 ああ、と思い出したように数歩後ずさる。ここはちょっとした雑木林のようになっていて、背の差ほど高くない樹木が乱雑に生えている。そのうちの一本が左端に入り込むくらいに下がる。ここだな、と四角形を解いて、鞄からカメラとレンズを出して、取り付けた。
「遮蔽物が少ない方が良いのでは」
 ふと、そんな声に数度瞬きをして、そうだねえ、とヒューは言葉を選ぶ。
「撮りたいものにもよるかなあ。こういうのは、ほとんど勘のようなものだから。今回は、なんとなく、フレームがあるといいなあって思っただけかなあ」
「フレーム、ですか」
「うん、フレーム」
 ファインダーをのぞき込んで、数度シャッターボタンを押し込む。撮れた画像データを液晶画面で確認してから、レンズは外さずにカメラを鞄にしまった。
「ベスさんは、地上は広いって思う?」
 もう一度両手で四角形を作って、先ほど撮った風景を手の枠の中に収める。青に浮かぶ白いシミ、緑に埋もれる薄汚れたグレーが収まっている。
 自分と目線はさほど変わらない、されどよっぽど強く頑丈で早い彼は、そうですね、と頷いた。遮蔽物が合っても無くても、広いというただそれだけで戦闘時の選択肢の数が変わってきますから、と至極冷静な言葉が返る。
「天井も無ければ壁も無いもんねえ」
「ええ。遮蔽物が無い空間も少なくないですから」
「ここはちょっと武器は振りにくそうかなあ」
「ここではさほど問題にはなりません。ただ、寄り深い森になってくると……方向が制限されますから」
 さほど密では無い空間を見渡して、なるほどなあ、とうなずく。戦闘のプロでは無いヒューから見ると、もう既に長物で戦うのは難しそうに思えるが、ベスに言わせればそうでも無いらしい。これ以上密になると難しいと言うが、まあそれはそうだろう。確実に振り回した獲物が引っかかってしまう。
 それはそれとして、とヒューはカメラを取り出す。じっと佇んだままのベスにわびるように一瞬だけ両手を合わせて、小さく頭を下げる。枝葉が好き放題に伸びて、狭くなった空というのも乙なものだろう。
 それに、とレンズを上方に向けて、今度は液晶に映ったほんものの空を見る。
 ――なんだか嘘くさい!
 目を細めて、人差し指でシャッターボタンを押し込む。音を立てずにシャッターが切られて、一枚の静止画が液晶の上に鎮座していた。
「お椀みたいな空と、どこまでも広がるような草原も、ぜーんぶ空想でしかしらないんだなあ」
「――ああ、地上へ出ることが出来るのは陽炎と翔だけ、という話ですか」
「そうだねえ。ぼくらはある意味見慣れているけれど、普通はそうじゃ無いから――……」
 中層区画の小さくて細い建物の中、壁一面に貼られた写真の内一枚を指さして、そんなことを言った子供がいた。親は真っ青になって誤り倒していたが、店主もその孫娘も、撮った本人であるヒューも別に気にしてはいなかった。どちらかと言えば、なるほどなあ、という感心が強く残っていたのだ。あの雰囲気で無ければ、詳しく感想を聞きたかったくらい。
 子供が指さしたのは、だだっ広い草原と一本の広葉樹が生えた一枚だった。ややかすんだ空と、広葉樹の濃い緑色と、草原の淡い黄緑色がきれいだと思って撮ったのだが、それがどうにも『嘘くさい』と感じたらしい。
「広すぎる世界は、もう絵本の中にしかないみたい」
 赤い目が僅かに細められて、木々の隙間、草臥れたグレーを捉えている。
「知らないから分からない。見えないものは想像が出来ない。本部の職員は、コロニーの市民よりも少しだけ広い世界にいるんだねえ」
「それはそうでしょう。我々は――ああ、いえ」
「うん、そうだねえ」
「……そういう職務を背負っています」
 だから当たり前。当然の知識、当然の景色。そうで無ければ務まりようが無い。確かにそうだ。おそらくはヒューを慮ってだろう、続けた言葉を不自然に句切って、それから付け足す。
 ヒューが受けたのは以前どこかの翔が拾ってきた植物が生えていた箇所の周辺調査だ。どうやら葉脈達にとっては研究対象になるものだったらしく、周辺環境のデータが欲しいと言うことで依頼が回された。依頼内容はいくつかに分かれており、そのうちの一つに画像データがあったので、ちょうどいいやと言わんばかりにとっとと受領して今に至る。こんな美味しい仕事を受けない理由が無かったが、そう考えるのは生粋のカメラ好きであるヒューくらいなものだろう。
「さあて、必要な分は撮り終わってるし、帰ろうかあ」
「必要な分はとっくに撮り終わっていませんでしたか」
「えっ。いや、そのう……付き合ってくれてありがとう……」
 赤い目の温度は変わらない。単に事実の指摘を行っただけで、責めるつもりは無いらしかった。
「任務から外れた行動はしていませんし、何よりデータは多い方がいい。その写真も、意味があって撮っていたのでしょう」
「うーん、ちょっと余分に撮った分はぼくの趣味だねえ。意味があるか、って言われると微妙かも」
 わかりやすくしょぼくれたヒューを気遣っての言葉をきれいに打ち返してしまった後で、しまった、と口を塞いだ。完全に後の祭りである。
 やってしまったかなと恐る恐るベスへ視線を向けたが、彼は神妙な顔をして、趣味、とだけ落とした。それがなんだか迷子の子供のように見えて、ヒューは強ばった身体をほぐすようにカメラバッグをそうっと撫でた。
 何かを見ようとして、目をそらして、されど逸らしきれない。そういう感じかなあ、とヒューは邪推して、余計な思考を頭から追い出した。問われるまでは語るまい。人の心を推察するのは困難だ。ヒューは、それをよく知っていた。
 一歩ヒューが足を動かせば、ベスも同じ方向へ足を動かす。僅かに風が吹いている。かさりさわりと草木がこすれる音を聞く。その様を視界に納めて、つい、半ば無意識に、指で四角形を形つくってその中に収めた。小さな四角形に収まる世界のなんと小さく広いこと。
「理由を尋ねても構いませんか」
「いいよお」
 四角形を解く。枠が消えた帰り道は途方もなく遠くて、広くて、どこか恐ろしい。
 ベスは軍帽を軽く被り直すと、同じように四角形を指で作ろうとして、それから思い直したように腰の武器へ手を置いた。
「記録以外の意味があるのですか。ヒューさんにとって、写真を撮る、という行為は……」
 真っ赤な目がありふれた道の跡を映し出している。何かを探るような、あるいはヒューでは無く自分自身に問うかのようなそれに、そうだねえ、と一瞬だけ逡巡する。
 意味なんてものは最初は無かった。ただ好きだっただけ。心を打ったものがあって、ただそれに突き動かされて、訳も分からず、ただ情動に従って飛び出した。それが最初。現在のヒューの起点だ。今でこそ目的を持って撮ることが多いが、本当の最初は意味なんて無かったのだ。今持っている目的も意味も、全て後付けのもので、ヒューが写真に固執するのは、自分でさえ形容しがたい心に突き動かされているだけだった。
「意味はないよお」
「……は」
「目的が意味になることもあるし、意味が目的になることもあるねえ。でもそれだけかなあ。任務に必要ない写真を撮るのも、単に好きだから、撮りたいからってだけで」
 迷った後、素直にぶちまけてしまうことにした。別に隠すようなことでも無いし、彼が望んだ答えはそうだろうと思った。ただの勘だ。広い自然を映すときに、フレーム代わりに近距離の木をわざと隅っこに映したのと全く同じ理由。
「ぼくたちが見れる景色には限りがあるからねえ。同じものを見ていたって、別のものをみていることなんて、よくあるでしょ?」
 右手の人差し指と左の親指を、左の人差し指と右の親指をくっつける。手で作られたフレームの中に、困惑の表情を浮かべた青年がすっぽりと収まっていた。
「例えば、今みたいな青空と、きれいな花畑があったとするよお。カメラを向けたとき、空の割合と、花畑の割合をどうするかは、撮影者が決めることだねえ。一つの花をアップで撮ってあげてもいいし、空と花畑、半分半分でもいいよねえ」
 今のヒューには、ヒューの言葉を飲み込もうと眉間にしわを寄せている人工生命体の青年が映っている。一つの言葉に意識を割いて、意図を読み解かんと考えている、誠実そうな印象を与えた。
 彼から見た己はどう映っているだろうか。どうあがいたって、ヒューには知り得ない話だ。
「写真はねえ、その人の見た景色そのもので、その人の主観風景だよお。ぼくは、ぼくの景色を、誰かに知って欲しいから、撮るのかもしれないねえ」
「ヒューさんの、景色、ですか」
「うん。この風景は、コロニーにいる一般人は見れないでしょ? 逆に、ぼくたちはコロニーで暮らす一般の人の生活は見れないねえ」
 何を映すのか、何を撮るのか、何を主役にして、何をぼかすのか。どの瞬間を切り取って、どの瞬間を残すのか。全て、撮影者が決めることだ。
 口にしながら、ふと、唐突に腑に落ちた。言語かが出来なかったものが、急に形を帯びて、すとん、と穴にはまったよう。
 それがどうにもおかしくって、ヒューは目尻を下げて口角を上げた。
「ぼくは、ぼくの世界を知って欲しいのかもねえ。それと同じくらい、きみの世界を知りたいなあ」
「それは、どういう。同じでは無いですか、見る世界など。同じ場所に立ち、同じものを見ている。そこに、差はありません。写真とは違い、我々は間違いなく同じものを見ているではありませんか」
「あはは、それは確かに!」
 不可解そうな言葉に思わず吹き出せば、ベスはますます眉間に眉を寄せてしまった。ごめんよう、といいながらも、まあそれはそうか、という納得があった。だから人の心を伝えるのは容易ではないのだ、と思いながら、故にこそ言葉を尽くすしそれ以外の媒介を使って己を伝えるのだろう、と暗い過去を思い返しては苦笑する。
 別に、自分の昔話などありふれたもので、このサイハテの中では随分とマシな部類だろう。
「ぼくが見る世界ときみが見る世界は別物だよお。同じものを見たって、同じことを思うとは限らないでしょ」
「それは、また別の話で――」
「おんなじだよ。何を見ようとして、何を見つけたのか。同じ景色を見ても、見た人の数だけの感想が生まれるのはそういう理由じゃ無いのかなあ」
 はた、とベスの動きが少しだけ止まって、それは、とたぐるような言葉が揺れた。それを、急かすことも無く、ただ待つ。
 事象としての視覚情報と、人が見て抱いた思いは全くの別物だ。一つの木を見たとして、大きな木とみるのか、広葉樹とみるのか、森林寿では無いとみるのかは人に依るだろう。
 もっと砕いて言ってしまえば、こうして眉間にしわを寄せながら考え込むベスという人工生命体を見て、誠実だと思うか、怖いと思うかの違い。
 見る世界が違うというのは、そういうことだろうし、また違う意味でも解釈できるだろうとも思っている。
「一つの……寄り道を見たとして」
 無意識だろう、利き手は武器へ、もう片方の手は軍帽へ運ばれる。目深にかぶられてはいるが、目が見えなくなることは無い。こういう仕草が、陽炎なのだなあ、とヒューはそんなことを思う。
「それを、不必要だと断じるか、あるいは」
 何かを思い出しているのだろう。鮮やかな赤色に影が差している。歩く速度だけはそのままに、声のテンポだけが落ちていく。
「……また、己にとって必要なものであったのだと見るか、と。そのような違い、ということですか」
 声の色彩が落ちている。これ、その辺を歩いている人が聞いたらちょっと怖いかもなあと、ベスの深刻さとはあまりに乖離した脳天気な思考を組み立てて、そうかもねえ、と曖昧な答えを返した。
 まあ、ヒューの思う「世界の見方」の解釈については、十中八九ヒューとベスとで乖離しているだろう。ヒューは単純にその人が見た景色を知りたいだけで、必要か不必要かなどは別に気にしていない。
 その人が見たかったもの、見たものを知りたいだけだ。そこに、それ以上の意味は無い。少なくともヒューは、写真にただの主観的な風景以上の情報が詰まっているとは思っていないのだ。
 一枚の画像データから何を思い、何を感じ取るかはその人の自由だ。撮るという行為に何を託すのかも、もちろんその人の自由。ベスの言うところの『寄り道』は、彼にとってのわだかまりであり、言語化しがたいつかえであるのだろう。
 全部憶測だ。人の心は理解しようがない。だから、自ら表現して伝えなければならない。そうしたところで伝わるとも限らないのが苦しいところだ。
「何を撮ってもいいし、撮らないって選択肢もあるねえ。別に、写真じゃ無くたっていいのかも。ぼくにとっては、それだったってだけで」
 鞄からカメラを出して、レンズを中距離用のものに付け替えた。電源を入れ始めれば、あの、と声をかけられる。
「さ、笑って笑って?」
「必要性を感じませんが」
「趣味だもの。任務記録ってことにしない?」
「……記録であれば、なおさら笑う必要はありません」
「じゃあ、そのまま。動かないでー……」
 仏頂面の、背の高い、赤い目の男が画面の中央に映し出された。どこか強ばっているように見えるその姿は、こういう無意味な写真撮影になれておらず、されど全くの後ろ向きでは無いと言うことだけがうかがえる。
「はい、おしまい。ありがとう」
 後で現像して渡そうか、と尋ねれば、意外なことに、お願いします、と返ってきた。
「記録としての写真も、『主観風景』であるとお考えですか」
 今度こそカメラの電源を落として、レンズを外し、キャップを取り付けて鞄に入れる。そうだねえ、とヒューは口にしながら、実際は微妙だろうと思っていた。
「そうなのかもねえ。残すと決めて、何をどこまで映すのか、を決めるのはその人自身だもの」
 記録を残す意図での写真技術はまた別だ。写真には多様な使い道があって、その使い道に依って求められるものが違う。必要とする情報が違うとなれば、それに応じた撮影技術が生まれるのも当たり前だ。だから、記録としての写真がその人の主観的な風景であるかと問われれば、ヒューとしては首をかしげざるを得ないだろう。
 とはいえ、それをあえて口に出して水を差す必要もあるまい。
 曖昧な回答に、ベスは表情をあまり変えずに、そうですか、とだけ返した。

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