あめつちかおるは土の下

サクラちゃん(髪永さん宅)をお借りして、翔が任務から帰ってきた直後の葉脈な彼らの一幕な話。


 翔の匂い、というものがある。匠はそれが存外嫌いでは無かった。
 水とは違う香り、土の湿った匂い、樹木の香り、そういったものが、結構好きなのだな、とぼんやりと思う。
「あれ、匠さん? こんにちは、忘れ物ですか?」
「……へ、ああ、サクラ、さん」
 小柄な人影に気がつかず、かけられた声でようやく気がついた。
 葉脈の中でも武器開発行う、自分より年若い少女が視界の下で首をかしげていた。どうかしましたか、という純粋な心配の目だ。
 彼女は、確か、と思い出す。物資開発部門に所属する匠とサクラは頻繁に交流するわけでは無いが、狭いサイハテの中である。同じ葉脈ともなればそれなりに知己にはなりえよう。
 それに、歴だけはそれなりにあるのが匠だった。幼い頃から本部でぷらぷらしているせいか、顔見知りはそれなりに多い。
 顔見知り止まりなのが彼の性格をよく表しているが、それはさておき。
「考え事をしていただけだよ。よくないね、歩きながらはさ」
「いえいえ、忙しいですし、仕方ないところもあると思います。でも、確かに歩きながらはちょっと危ないのかも」
 行く方向が同じであれば、それなりに会話も交わせる。
 サクラの歩調に合わせて、少しだけ、ばれない程度に歩く速度を緩めた。サクラと匠の慎重さだと、サクラが完全にフレームアウトしてしまうので、会話も若干苦労する。
「さっき、翔の小隊が帰還していましたね。私たちから申請を出していた物資も回収いただけたみたいです。本当に頭が上がりませんよね」
「うん、そうだね。まあ、たまに『何をどうしたらそうなるんだ』みたいな破損した武具が帰っては来るけれど」
「そ……そう、ですね……」
 何か思い当たる節があるのか、サクラはそっと目をそらして口ごもった。口ごもられると余計聞こえにくいので可能であればいつも通りはきはき話してもらえると嬉しいんだけどなあ、と思いつつ、それもアラサーのわがままかあ、と言葉を飲み込んだ。
 翔の探索・偵察部隊は危険な地上に繰り出して、陽炎の任務のための前準備を行ったり、コロニーの住人や自分たち葉脈が必要とする物資を調達してきてくれたりする。
 危険だが、必要な部隊だった。
 必要。
 ――必要か、と浮き足だった心に蓋をしようと息を吐こうとしたとき、跳ねるような声を聞いた。
「翔の方の衣服についた葉っぱがですね、はじめてみるものだったんですよ」
 そんな、ごくありふれた報告を聞いて目を瞬かせた。そういえば彼女はそういうものが好きだったなあ、と思い出す。
 翔は任務の特性上、外のものをよく持ち帰る。意図したしないに関わらず、だ。
 それは一種の雑談で、酷く他愛の無い話ではあったが、その声が途方もなくきらめいたものに思えて、匠はなんとなく口を開く。
 ああ、おれも。
 喉に詰まったわたを取るように、ゆっくりと。
「僕も、帰ったばかりの翔とよく話すのだけれど」
「え!? 初耳……じゃなくて、そうなんですか?」
「ああ、うん。ちょっと何故かちょっかいをかけられてて」
 いいなあ、と言外に訴えるきらきらとした目に気まずくなって、そうっと目をそらす。
 窓は無い。無機質な壁が広がるだけ。
 旧世界は、どうだったのだろう。
 別にどうでもいいか、と思っている。どうせ自分の目で見ることはきっと叶うまい。
「ただ、ここにはない、匂いが……なんとなく、好きだと思ってさ」
「ああ、それなら分かります。雨の匂いとか、風の匂いとか。サイハテにはない匂いがあるんですよね。空気感というか……」
「そう、それ。それがなんとなく好きで」
 それは、諦めた広い大地を思う憧憬か、未練か、それとも別の感情か。
「まあ、見ることは叶わないから、せめて視覚以外で外を感じられるってのは、いいことだよな」
「そうですね! 葉脈にいると、意外と実物も見れますし」
「ああ、それは確かに」
 翔が帰って間もない廊下は僅かに汚れている。茶色の湿った砂が転がって、緑の欠片が落ちていた。通った後は僅かに湿っぽい。
 外はきっと雨だろうか。それとも霧だろうか。推察することしか出来ないが、さて。
「――土の下でも、香るものか」
「何か言いましたか?」
「いや、なにも」
 ふと、そんなことを思った。

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