岐路
時系列的はちょっと前。多分シルバーリングと出会った後ぐらい……多分……
怖いなこの人、と思っている。
金色の髪と緑色の目。高い位置で一つに結われた髪が彼女の動きに合わせて揺れている。隙はなく、怯えも恐れも無い。およそ自分に為せないことは無い、と確信しているような立ち振る舞い。
側に佇んでいるバーサーカーの存在が、彼女のそういった雰囲気を強くさせていた。穏やかな表情こそ浮かべているものの、彼の戦士としての姿を思えば恐怖を覚えずには居られない。
あの夜。セイバーを呼んだあの夜に――ケイに死の予感を突きつけさせたのは、紛れもなくこのサーヴァントなのだから。
「マスター、大丈夫です。何かあっても、私が守りますから」
「何よ、まるであたしがケイを殺そうとしているみたいじゃない。するわけないでしょ、そんな非効率なこと」
「あ、はは……」
隣で盛大なため息が吐かれた。龍童は渋い顔のまま、用は終わったな、と背を向ける。
ブラウン邸に来ているのは、ひとえにメアリーとの顔合わせのためだった。龍童の家に転がり込んで三日目、いい加減会っておいた方が良いなと面倒くさそうな龍童の声でこうなった。
通常の聖杯戦争であれば監督役がいるそうだが、この聖杯戦争には居ないらしい。だから、聖杯戦争の開催の発端を握ったメアリーと龍童が監督役のようなことをしている――らしい。
それって八百長なのでは、と思ったが口には出さなかった。既に二騎欠けている聖杯戦争。残りの参加者は五騎で、そのうちの二騎は同盟を結んでおり、まともに戦う気はあまりない。それに加えて、ケイもこうして龍童に匿われた身だ。実質的にはランサーとバーサーカーとセイバーの三騎の同盟とも言える。
アーチャーとキャスターは結託していないそうなので、なんて言うか、インチキだなあ、とケイは思うわけである。
「何とっとと帰ろうとしてるのよ。まだ大事な話をしてないでしょうが」
「……それはここで無くても良いだろ」
「ここの方が話は早いわ。あんたのそういうところ、見ててイライラするのよ。何達観してるんだか知らないけれど、過剰な線引きは却って弱味になるわよ」
鋭い舌打ちが返る。怖い、とケイはそっと身を小さくして、メアリーと龍童の導線から外れるように一歩ずれる。
変な関係で、変な立ち位置だ、とケイは考える。龍童は――たぶん、本当に、この聖杯戦争に関わるつもりは無かったのだろう。偶然だ、と口癖のように彼は吐き捨てている。これが全てで、きっとそれ以上は無い。
その割にこうしてケイの面倒を見ているあたり、どうにも矛盾している、と思っていた。
「感謝なさい。考えたくないんでしょう、あんたは。ならあたしが有効活用してあげるわ。あんたに勝手に価値を見いだして、勝手に使ってあげる。別にあんたでなくたっていいけれど、あんたを使った方が楽ですもの」
「マスター、流石に言い過ぎです」
「あら、ごめんなさいね。イラッとしちゃって」
見かねたバーサーカーの制止を意外なほどすんなりと受け入れて、メアリーはソファーに座り直した。バーサーカーは変わらずメアリーのすぐ後ろに控えている。隻眼の巨躯は、あの日ケイを巻き込み殺そうとした獰猛さを微塵もにじませることの無いまま、ただ穏やかに立っていた。
話が終わったらすぐに帰りますと言わんばかりにドアのすぐ側に龍童が凭れて、それで、と不機嫌そうに話の続きを促した。
ランサーは出てくる気配もない。何か事が起きるまでは控えているつもりなのかもしれなかったが、少々意外にも思った。少なくともケイから見れば、意外とランサーは人好きする性質に見えていたからだ。
まあ、ただの他人だ。単にそう思っただけで、実際の所は分からない。だから、ケイは思考をそこで止めにした。
「それで? 何を話すんだ。キャスターか、アーチャーの対策か? それとも、聖杯を解体するか破壊する算段でもついたのか」
破壊、という言葉にセイバーがぴくりと反応した。
『聖杯戦争』は、万能の願望機である聖杯を手に入れるための儀式そのものだ。聖杯戦争自体は手段で、それ以上のものではない。過去の英霊を召喚する、などという奇跡めいた御業でさえ、ただの手段なのだ。
景品である聖杯は、万能の願望機と言っても過言では無い性能の魔力リソースである。少なくともあの夜の龍童はそのように言った。セイバーもそのように認識していた。
(それを、なんだって?)
解体する、と言ったのだ。あるいは、破壊する、とも。ランサーは姿を現さない。バーサーカーは平然としている。メアリーは、そうねえ、と考えるように毛先をくるくると指に巻いて遊んでいた。動揺を見せたのはケイとセイバーのみである。
「……あら、言ってなかったの? これがまっとうな聖杯戦争じゃないってこと」
「あー……言い忘れてたかもしれない。この反応は言ってないな」
「言ってないですよ。何か意図があって黙ってるもんだと思ってたんで、俺も何も伝えてないんですけど、忘れてたんすか」
「うるさいな」
「ついにボケたってわけね。念願の老化現象よ、ケーキの一つでも買ってあげましょうか?」
「殺すぞ」
どっかん、と派手な物音を立てて棚の上の者が落ちた。龍童が何か小さな石のようなものを指で弾いてメアリーを狙ったらしかった。
単なる物理攻撃だったせいで軌道が逸らされたのか、それともすれすれ当たらないところを狙ったのかは知らないが、仏頂面の龍童が額に青筋を浮かべている。流石におちょくりすぎだったのだろう。先ほどからそこまで仲が良さそうな雰囲気でも無かった、というのもありそうだが。
存外単純な話で、老いぼれ扱いが嫌だったのかも知れない。ケイから見た龍童は、それなりに振る舞いは爺らしくはなかった。
「この聖杯はね、欠陥品なのよ」
「欠陥品、ですか。こうして私たちが召喚されているのに、この聖杯は欠陥がある、と?」
「ええ。とっくに汚染されて使い物にならないガラクタよ。爆発する前に処理が必要な分、ただのガラクタの方が万倍マシね。そもそも、この聖杯戦争だって不完全なんだから。最初から二騎のサーヴァントの召喚に失敗している位なのだし」
メアリーはそういうと、鼻で笑って窓の外へ目を向けた。枯れ枝が目に入る。冬の手前、外の景色はどこか寒々しい。
「本来なら、聖杯ってのは器が必要なのよ。膨大な魔力を受け止めるための器がね。でもこの聖杯にはその器が存在しない。仮の器はなんとか作り上げたけど、保って後二騎分ってところね」
「それ故に、この聖杯戦争には監督役も存在せず、また龍童殿らも積極的に戦闘はしかけませぬ。現状、好戦的な態度を取っているのはキャスター陣営でしょうな」
バーサーカーが補足するように続けた。そうなんだ、と頷きながら、思いっきり家を破壊されたあの夜を思い出す。セイバーと顔を見合わせて、ゆっくりと扉に不機嫌そうに寄りかかっている龍童へ目を向ければ、死んだ目で首を振られた。諦めろということらしい。
しかし、とケイは黙り込む。余裕がなさ過ぎるな、というのが感想だった。
「ま、最悪あふれたらあふれた時よ。なるときはなるんだからそうするしか無いわ」
「えっと……それはそうなのですが……」
セイバーも困ったような相づちを打っている。バーサーカーに目を向ければ、うんうんと頷いているだけだ。絵に描いたような忠臣である。メアリーの言を補足することはあれど、訂正するようなことは無いらしい。
そうして困ったような気配を察したのか、盛大なため息が背後から落ちた。
「あふれたら『泥』が噴出するんだろうよ。それぐらい説明してやれ、相手は箱入りの子供だぞ」
「はは……箱入りっていうか、座敷牢入りだけど」
「気を遣った言い方したんだろうが」
メアリーは、そうね、とだけ頷いた。だから何、といった態度である。そんな様子のメアリーを見て龍童は顔をしかめていた。
泥があふれるというのは、と龍童が口を開く。メアリーが説明しないと踏んだのか、渋々といった様子で続けてくれている。こういうところは、やはり面倒見が良いのだろうな、と思った。
「以前の聖杯戦争で混入した異物のせいで、この聖杯は無色透明な魔力そのものじゃないんだよ。泥というのは……なんと言えばいいのか」
「――『この世全ての悪(アンリマユ)』、でしたっけ?」
するりとランサーが姿を現した。相変わらず淡々とした様子で、俺も詳しいことは知りませんが、と付け加えた。
アンリマユ、という名はケイは知らない。ただ、あまり良い響きではないな、とは思った。おそらくはろくなものではないのだろう。
「何が起こるかも分からないもの、説明できるわけ無いじゃ無い。時間の無駄よ」
「……はあ」
「何よ、言いたいことあるなら言いなさいよ」
「泥の正体くらいは言っといても良いだろ」
「そう? 名前だけ知ってても何も出来ないなら一緒だと思うけれど」
一理無くは無いか、といったようにメアリーは頷くと、じゃあ覚えとくだけ覚えておきなさいと凄味のある笑みを浮かべて見せた。
やっぱり怖いな、とセイバーに目を向ける。純白の騎士姫は、どこか緊張したような面持ちで、アンリマユ、と繰り返していた。何か知っているのかも知れなかったが、メアリーはもちろん、龍童も触れてはこない。あるいは、アンリマユという存在そのものはともかく、それらがもたらすものは本当に予測が不可能なのかも知れなかった。
いずれにせよ、今はどうだっていいことだ。龍童は名前くらいは教えておいても良いと言ったが、ケイはどちらかと言えばメアリーの方の意見に共感していた。今はどうにも出来ないことで在り、知識の差が致命的な差を生むことがないのであれば、知っても知らなくても一緒だろう。
龍童はそういうメアリーの態度にも慣れっこなようで、中々にぞんざいな扱いをされて入るがそこまで腹を立てている様子はない。視線はずっと誰にも向けないまま、全身から早く帰りたいという空気を全開にして出している。
「それで、話を元に戻すのだけれど」
「そもそも話なんか始まってました? ずっとすったもんだしてたように見えましたけど」
「貴方のマスターのせいでね。全く、何も考えたくなって言うなら貴方みたいに傍観に徹していればいいじゃない」
「……そうすか……」
茶々を入れたつもりが派手に打ち返された上、何故か龍童に飛んでいってしまった。鋭い舌打ちが響いて、ランサーが一歩引いた。
(こういうことを言うのは良くはないのでしょうが)
不意に、脳裏にセイバーの困惑した声が響いた。念話である。なんだかんだで初めて使ってもらったな、と内心で苦笑いした。眼前では相変わらず殺伐とした空気が漂っており、全く変わった様子の無いバーサーカー主従と、不機嫌まっしぐらな龍童と、それに挟まれているランサーという構図が広がっていた。
(その、よく同盟組まれていますね……)
(時に利害の一致は感情より重いらしいね……)
一周回って尊敬さえできるな、とケイは重苦しい空気の中で肩を落としていた。
*
大元の主題はアーチャー陣営とキャスター陣営をどう扱うか、であった。今のところバーサーカー・ランサー陣営はもとよりこの聖杯戦争の欠陥を把握しており、戦闘は好めどサーヴァントの脱落は求めていない。セイバー陣営であるケイはそもそもとばっちりで、いきなり聖杯なんて言われても困るという側面の方が強い。セイバーはセイバーで、そこまで聖杯に執着はしていないようだった。それもまた、メアリーと龍童にとっては好都合であったのだろう。
ブラウン邸から出て、やっとの事で息をついた。大きく呼吸をしていれば、セイバーが心配そうに顔をのぞき込んできた。
「その、お疲れ様です、マスター」
「いやー……セイバーこそお疲れ様……」
一応、アーチャー陣営はマスターが良くも悪くも規格外なので保留となり、キャスター陣営を拘束する方向で話はまとまった。まとまったのだが、細かい話を詰めるにはあまりにも空気が険悪すぎて、バーサーカーが日を改めた方が良いと進言してやっと解散となった。
ちなみに龍童はとっとと帰っている。よほどあの空間に滞在したくなかったとみた。そんなのはケイとて同じである。
「大変、こう、疲れる顔合わせではありましたが……得るものも大きかったですから、ね! これからの方針は私たちでもきちんと決めましょう、マスター。レイやメアリーに任せるのは、流石にちょっと不安もあるので……失礼かも知れませんが……」
そうだね、と頷いた。気を遣うような、あるいは肯定されたことが嬉しかったかのような笑みに曖昧に笑みを返す。
外は風が僅かに吹いていたが、上着を通り抜けるほどの風量では無いためそこまで寒くは無い。どちらかと言えば、突き抜けるような青空と、すっかりと枯れて枝のみが残った木々の方が寒々しく見えた。
「魔術師も大変なんだなあ……」
そうした風景を見て気が緩んだのか、不意にそんなことが口を突いた。歩きながら、セイバーが首をかしげている。
「いや、ちょっと思っただけ。とりあえずつかれたったし、とっとと帰ろう」
「そうですね。帰り道に襲われないとも限りませんから」
「うっ、怖いこと言わないでくれよ」
「もしもそうなったとしても、私がマスターを守りますから、どうかご安心を。それに、警戒はいくらしてもしたりませんからね」
セイバーの言葉に頷いた。その通りだった。だからそのように動こうと思った。
何も持たずに生きてきた、という自覚がある。持っているものは先祖返りした魔術回路くらいなもので、それ以外は何もなかった。物理的にも閉じた世界に生きて、知っているのは紙面上の世界だけ。
こうして意図せず世界が広がったとて、変わらないものだ、と冷静な己が俯瞰している。
(ああ、でも)
分からないことは増えた、と思う。
轟音、殺戮、死の恐怖。それらを塗りつぶしてあまりある、純白の生の予感。それがずっと傍らに控えている。
ずっと陰鬱そうな顔をして、本当だったら消えてしまいたいと言った様相の男は、それでもケイに手を差し伸べていた。
知識はあった。そういう存在があることは知っていた。しかしこうして対面すると、何故だろう、という疑問が浮かんでは消えていく。
秤がずっと揺れていた。だからケイが迷うことはあまりない。
――本当に?
「マスター?」
「……あ、ううん」
なんでもない、と『軽い』疑念を置いてそんなことを言った。

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます