Fate/Abendrot – 9

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剣陣営と弓マスターの話の続き。書いてあったんですけど寝かせすぎましたね


 秤を揺らす。
 天秤を傾ける。
 感情は要らないが、感情を排斥することはかなわない。それができるのは――きっと人間では無い。
 それでも秤を揺らすのだ。そうあれかし、と望まれたからそうするのだ。そうするべし、とすり込まれてきたからそうするのだ。
 故は無く、由も無く。
 そもそも。
「俺は、何を秤にのせればいいのだろう?」

 人混みの中を縫うようにセイバーが歩く。それを追いかけるように歩いて行けば、特にぶつかることも無く人混みを歩くことが出来た。それを、すごいことだなあ、とぼんやりと思っていた。
 何も知らずに通り過ぎる人の群れ。ポップ調のBGM。それらをただ情報として処理しながら、なんだか遠いもののように思っていた。
 憧れていた景色の一つだと思っていた。生活環境だけは整えられていた地下室で、ずっとこんな『普通』を空想していた。金色の髪を追いかけて飲食店を探すようなシチュエーション、きっと誰もが呆れるほどに経験した普通の出来事の一つだろう。
「あ、マスター、ありましたよ!」
 セイバーが立ち止まる。緑色の目は楽しそうだった。それを受け止めながら、たくさんあるね、と返す。
「フードコートだ。結構混んでるね」
「ですが、二人であれば座れそうです。どれにしましょうか」
「先に席取ってからの方が良いんじゃない?」
 それもそうですね、とセイバーが頷く。忙しなく動き続けている人混みを縫うように歩いて、きょろきょろと空いている席を探した。そうこうしているうちに、がたりと椅子を動かす音がして、テーブルが空く。四人がけのテーブルだった。先に座っていた親子は、美味しかったねとか、片付けてくるねとか、そんなことを話していた。
「マスター?」
「あ、うん。座っちゃおうか。他に席もなさそうだしさ」
「そうですね。二人しか居ないのに四人がけに座るのは少し気が引けますが……」
「まあ、声かけられたら相席する、くらいでいいんじゃないかな」
 人は意外と他人を気にしないものだ。セイバーという呼び名も、ケイがマスターと呼ばれていることも、ひそひそと噂するような声は聞こえてきやしない。
 存外、人は人に無関心なのだ。
「それでは、席を確保しましたし、ご飯を買いに……買いに……荷物を置きっぱなしにしたら、取られてしまいますか? 置き引き、というか」
 意外だな、とセイバーを見た。緑色の目はなぜだか後ろめたそうな感情を灯している。大方、よく知らない誰かを疑うことに後ろめたさを覚えているのだろう。
 聖杯は、現代をサーヴァントが歩くにあたり、問題ない程度の常識を与えるという。フードコートのマナーとか、暗黙のルールとか、防犯意識とか、そういったものも与えるのだなと少々面白く思ったのは内緒である。
 これを言ったところで、セイバーは感心するだけだろうし、龍童やランサーあたりは呆れるだけだろう。
「意外と大丈夫だよ。多分。貴重品だけ持ち歩いてれば」
「な、なるほど。そういうものですか」
「そうね、きっとそうだわ。もし、どうしても心配なら、私、ここで待っていましょうか?」
「そうですね、そちらの方が安心――……なぜ、いるのです?」
 銀色の髪の女は、にこにこと微笑んだまま首をかしげていた。

 そうして結局席の確保をお願いして数分。テーブルには三人分の食事がのっかっていた。何故だろう、と思いつつも、シルバーリングの提案を受け入れたからだな、と冷静な思考がツッコミを入れていた。
 セイバーは何となく居心地が悪そうにそわそわとしている。気持ちは非常に分かる。一方で、シルバーリングはにこにこと楽しそうに微笑んでいた。こちらは本当に理由が分からない。
 ただ、強いて言えば、楽しそうだと思ったから、なのだろう。彼女はそのようにきっと動いている。好奇心の赴くままに、人とは決して相容れるはずの無い天秤に従って動いている。そこに善悪も無ければ、悪意だってないのだ。
 ひょこりと気配もなく現れた彼女は、さあさあ、とケイとセイバーの背中を押すようにして早く昼食を買ってくるように促していた。そうしてケイとセイバーが注文をして戻ってくると、それじゃあ私も行ってくるわ、と大変にマイペースに注文を取りに姿を消した。そしてすんなり戻ってきた。
 その後、順番に料理ができあがったことを示すアラームが鳴って、昼食を取りに行って、今に至る。
 なんだろう、この『普通』すぎるいきさつは。ここ数日たたみかけるように襲いかかってくる非日常に反しているせいか、この普通こそが異常に思えて、ケイは内心でため息をついた。
 憧れていた普通だ、と思った。でもそれだけ。それ以上の感傷は覚えなかった。自分でも意外なことだと思っていた。
「あ、あのぅ……何故ここにいるのでしょうか、アーチャーのマスター」
 あ、聞くんだ。買ってきたファストフードを口に詰め込みながらシルバーリングの方を見る。彼女は大盛りにされたラーメンを熱そうにすすりながら、はて、と首をかしげていた。はかなげな美貌に大盛りラーメンが似合わなさすぎて、時折通り過ぎる人間が二度見している。セイバーはうどんを頼んでいた。どんぶりの上にはてんぷらものっかっている。しっかりトッピングまで頼んだらしい。
「街で見かけたから、お話しでもしようかと思ったの。貴方たちは、彼よりも、私と話してくれそうだったから」
 静かな声だ、と思った。不思議と良く通る声だ。周囲はこんなにもがやがやとしていて騒がしいのに、彼女の声は良く聞こえる。魔術的な作用なのかとも思ったが、そういうわけでもなさそうだった。
「ねえ、貴方たちは、どうして聖杯戦争に? わたしはね、あの時話した通りなのだけれど」
「どうして……って、言われても」
 そんな故は無い。由も無い。ケイはただ巻き込まれただけだ。そこにそれ以上の理由は無い。
 ――本当に?
 横たえた疑問をないがしろにしたまま、ケイは何となく目を逸らす。理由は無い。願望も無い。かといって、龍童やメアリーのような目的だってない。ケイの聖杯戦争における天秤は、まだないのだ。
 それが、途方もなく気持ち悪かった。
「あの、貴女は何故、レイたちを襲ったのですか。あの時……あの時は、確かに貴女に敵意は無かった。アーチャーに唆されるような人にも、見えないのです」
 だまったケイに気を遣ったのか、セイバーが急にそんな疑問を投げかけた。シンプルな疑問だ。シルバーリングは元々過度な敵対意思がない。それならば、何故、という疑問。
 その問いに、彼女はただ不思議そうな表情を浮かべていた。心当たりが無い、とでも言うように。
「襲う? 私が、彼らを……」
「ええと、何日か前に、接敵した、と聞いたので」
「ああ、あの時の事、ね」
 ようやく合点がいったらしく、そうね、とシルバーリングは目を伏せる。そんな話をしている内にもラーメンはしっかり減っていた。というかもうほとんど無い。いつの間に食べてたんだろう、とケイも買ってきたファストフードのポテトを口に放り込んでいた。まだ半分以上残っている。
 シルバーリングには襲った、という認識は無いのだろう。時間経過情報と合わせて初めて分かった様子だった。そっれでいて、自分が行った行為が襲撃である、という事実自体は分かっているように見える。
 変な人だ、と思った。龍童たちの言葉を踏まえれば、人間ではそもそも無いのだろうが。
「話をしたかっただけなの」
 静かに彼女は言った。裏は無く、嘘も無く、淡々と、事実だけを述べるように。
「彼、不思議な人でしょう? だから、知りたかったの。人だけど人で無い彼なら、『私』のことがわかるのかしら、って」
「ですが、それであればアーチャーをけしかける必要はなかったのではないでしょうか。そもそも、貴女とレイは知己ではないのですか?」
「……そうね、きっとそうなのだと思うわ」
 ふと、随分と積極的だ、と思った。僅か数日ではあるが、四六時中一緒に居れば性格ぐらいは何となく分かる。お人好しの善人、好奇心旺盛で、少しばかりそそっかしい騎士姫。それがケイの抱いたセイバーへの印象だった。
 それでも、聖杯戦争という場の特殊性からか、セイバーは必要以上に誰かに踏み込むような言動は取らないようにしていたはずだ。気になる、と口にはしても、それ以上は踏み込まない。
 だから、こうして積極的にシルバーリングに関わろうとする事が意外に思えた。
 そうしてセイバーの事へ思考を割いたせいか、不意に、アーチャーはいないのだろうか、とそれとなく視線をさまよわせる。霊体化しているのだろうか。マスターが一人で出歩く危険性はあのサーヴァントであれば把握していそうなものだし、きっと黙って居るままで居ることには居るのだろう。
「でも、私、分からないの」
「分から、ない?」
「ええ。分からないの。ねえ、あの子は何というのだったかしら? 貴女は何というのかしら。貴方は? 私ね、ヒトのことがわからないの。同じに見えているわけでは無いのよ。区別がつかないわけでもないの。常識だって分かるし、貴方たちが当たり前に持っている倫理観だって多分分かるの。でも――でも、ね」
 緑色の目が静かにこちらを見据えている。
「分からない――分からないのよ。何故怖いのか、何故そうしなければならないのか。わたしが『私』だから分からないのか、単に『私』の問題なのかも、分からないの。だから、彼なら分かるのかしら、って思ったのよ。私のやり方で歩み寄って、手を伸ばせば触れられるのかしら、って思ったの」
 子供のようだ、と思った。泣きじゃくる子供のような駄々だ。分からない分からないと文句を言っているようで、けれどこうしてもがいている様はどうしようも無く悲痛なものに見える。
 問いかけたセイバーは言葉を飲み込むように唾を嚥下して、それから長く息を吐いた。
「貴女のやり方について、聞いても?」
「生き物が本質を見せるのは、死の間際でしょう?」
「……それは、そうかもしれませんが、あまりに極端が過ぎます」
「そうなの?」
「そうです」
 意外なほどすんなりとシルバーリングは頷いた。そうなのね、と納得できて安心したかのような穏やかさで微笑んでいた。
(ああ、やっぱり)
 理解できない怪物では無いのだ、とケイは彼女を評する。行動基準が違うだけ。天秤が他者とあまりにもかけ離れているから異常者と見做されるだけの、ただのヒト。同じ世界を見ながら、行動基準が違うからちぐはぐに見えたのだろう。
 彼女があっさりと納得したことが意外だったらしく、セイバーが軽く目を瞬かせて、ごまかすようにうどんのスープをすする。いつの間にか食べきっていたらしかった。
「私、間違えちゃったのね」
 くすくすと楽しそうにシルバーリングが笑う。悪戯がばれた子供のような無邪気さに、セイバーが言葉に詰まっていた。
 間違えたというか、致命的に失敗しているというか。終始口をつぐんだまま、ケイは彼女たちの会話について思考していた。
 シルバーリングのどんな行動が龍童の癪に障ったのかは分からない。癪に障った、というのも違う気がした。龍童は――シルバーリングと名乗ったこの女を嫌っているわけでは無い、と思っているからだ。逆に、ランサーは明確にシルバーリングが嫌いか苦手かのどちらかだろう。あるいは、別の原因で激しく敵意を向けているかか。
「これ、このまま話してても大丈夫なやつ? こう、踏み込みすぎてお覚悟ー、とかにならない?」
「あら、ふふ。時代劇ね。それは、知っているわ。ええ、もちろん。この場では危害は加えない。それは、きちんと約束しましょう」
「出来れば、今日いっぱいに延長して頂きたいところではありますが……」
「今日いっぱいがいいの? それなら、そうするわ」
 あっさりとシルバーリングが頷く。会話が楽しいのか、最初の微笑みよりも砕けた印象を受けた。
 暖簾に腕押しのシルバーリングの反応に困ったのか、セイバーがちらちらとこちらを見ていた。確かに、まっとうな聖杯戦争の参加者では有り得ないような状況で、返答のはずだった。
 もっとも、ケイはまともな魔術師でも無ければ聖杯戦争のなんたるかも知らない。ただ状況判断するしか無い、というのは何とも不便なことだった。
 ともあれ、不戦の約束は取り付けた。周囲の状況を鑑みても、すぐにここで戦闘になることは無いだろう。アーチャーの能力を考えると闇討ちが不安になるが、この人混みで、近くには警戒を維持しているセイバーもいる。
 そういうことであれば遠慮無く、とケイは口を開く。
 天秤が揺れる。知りたい、と願った。きっとこの人はケイが知りたい事を教えてくれる、という確信めいた何かがあって、しかし至って気楽そうな、何でも無いことを聞くように声に出す。
「聖杯を手に入れたら、何を願うのかなって」
「け、ケイ、それは」
 焦ったようなセイバーとは裏腹に、シルバーリングは不思議そうに首をかしげただけだった。ケイとシルバーリングを見比べて、敵意も殺意も無いことを確認して、安心したように息を吐いている。あとで謝っておいた方が良いだろうな、とケイは内心でセイバーに詫びていた。さぞやそそっかしくて心臓に悪いマスターであることだろう。
「あら、それなら前に言ったとおりよ。わたしは、『私』の終わりを知りたいの」
「それは龍童さんちに押しかける時の理由じゃ無かった?」
「そうだったかしら? でも、同じよ」
 己の終わりを知りたいの、と。
 明日は出かけに行きたいな、とでも口にするような軽さで、それでいて遺言を残すかのような深刻さで、彼女は笑う。
「貴方が『揺れる理由』を知りたいのと、一緒だわ、きっと」
「――俺、の?」
「違うの?」
「さあ……わかんない。そもそも、聖杯戦争なんて、巻き込まれのとばっちり、だし」
 セイバーの気配を感じて、けれど事実なのだ、と目を背ける。シルバーリングはただ微笑んだまま、そうなのね、と頷いている。
「おかしなひと。戦う理由なんてとっくの昔に知っているのに、知らない振りをしているのね。望みが無ければ、こんな戦い、とっくに投げ出したっていいのに」
 それをしないのは、理由があるからだ、と。銀色の女は穏やかに告げる。
 ケイは、ただぼんやりとしていた。目を逸らしていなければならない、と確信していた。
 何故なのかは分からない。何故なのかは知る術もない。ただそういう確信だけがケイの中にある。目を背けて、自分自身でさえ無かったことにしていたそれに、堂々とライトを当てられたような心地だった。
 万能の願望機といわれても、そんなものは知らなかった。何も成す気はなかった。でも死ぬのは嫌だから、何となくこの席に座っているだけ。少なくとも龍童とメアリーは聖杯の完成を遅らせたいようだったから、その片割れに着くことが出来た時点で生存出来る可能性は高いだろう、と何もしないことを選択した。
 生きるための天秤を揺らしたのだ。
「マスター」
「……あ、セイバー」
「分からぬ事を、分からぬままにしておくのは、決して悪いことではないのです。分からないと蓋をして、逃避することこそが悪なのですから。それは、ただの思考放棄と変わりない」
 ずくり、と胸の内が痛んだ気がした。
 それは、それは。今この瞬間まで、ケイがしていたことだからだ。
「今考えているのであれば。今、模索しているのであれば。分からぬ事を、『分からぬ事』としてとどめているのであれば。それは、きっと貴方を助ける標になります」
「――まあ、ふしぎなひと」
「むう、さっきからそればかりですね、アーチャーのマスター」
 むくれたようなセイバーの声に肩の力が抜けた。シルバーリングはといえば、そうね、とくすくすとやはり笑っている。
「急に堂々とするものだから、おどろいたのよ。ね?」
「えっ、俺?」
「ええ、そうよ」
「うーん、そうかも……?」
「えっ、マスター!?」
 言われてみればそうかも、くらいの意味だからとセイバーをなだめつつ、言われた言葉を思い出す。
 きっと正しい。それは途方もなく正しくて、そして困難な道だろう。分からないことを分からないままとどめておくのは、怖い。怖いから、難しい。人間の心はそのように出来ている。
(お姫様、って感じじゃ無かったな)
 清廉で頑張り屋な騎士姫というのがセイバーの印象だ。けれど、先ほどのあの言葉は、どちらかと言えば――そこまで考えて、続く言葉が中々出てこず、やめた。騎士というのも違う気がする。賢者というのも似合わない。
 だから、これも留めておくべきなのだろう。天秤があれば、その通りに動けるのが鼎ケイという人間だ。だから、難しくてもそのように振る舞えるのは幸運なのだろう。
 冷めきったファストフードの最後のひとかけらを口に放り込んで、ごちそうさま、と口にする。それをセイバーが真似をして、シルバーリングは少しばかり残念そうに手を合わせた。
「それじゃあ、お昼はおしまいね。またね、セイバーのマスター」
「えーっと……どうも、アーチャーのマスター」
「『またね』という言葉が嫌な響きになるのは、虚しい気もしますが……ええ、また会いましょう」
 銀色の髪が人混みに紛れて消えていく。壁に取り付けられている時計を見上げて、意外と時間は経っていないものなのだな、と午後三時を示した針を見て思う。
 あれだけ目立つ容姿の癖をして、すぐに彼女の姿は見えなくなった。そのように魔術を行使しているのだろう。今はどうだっていいことだった。
「帰る?」
「そうですね。そろそろ帰って、夜に備えましょう」
 そういえば、お土産を買って帰ろうなどと話しては忘れていたなあ、とふとそんなことを思い出した。

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