ふわふわ、なあなあ

モブ葉脈から見たルナさん(灰寺さん宅)な話。トンチキ。


 彼はこのインターホンを押すことを非常にためらっていた。
 葉脈聖者研究部所属のルナ、という人物について、彼はさほど詳しくは無い。変わり者揃いの聖者研究部の中でも比較的人当たりのいい、若干かなりとてもワーカーホリック気味である人工生命体である、と言うことしか知らなかった。
 彼がはるばる彼が寝泊まりしている部屋までやってきたのは、ひとえに武器開発の先輩から「聖者素材で不明点があるって? ならこれは……ああ、この間出た論文つかってんのか。筆者に聞け、筆者に」と背中を蹴られたためであった。
 その話を同僚にしてみたところ、彼は神妙な顔をして、
「あそこの部屋に行くのか? なら、出てきた門は飲み物も食い物も食べない方が良いぞ」
 と言った。本当に真剣そうな顔であった。
 なんだそれは。いにしえの書物にあったヨモツヘグイなるものか何かか。大体、ルナという人物にあったことも無いのにそんなアドバイスされても、と後ろめたい気持ち八割で、大きく息を吸って吐いて、それから思い切ってインターホンを押した。
 一秒。
 二秒。
 三秒目あたりでぴぴっ、とロック解除の音が鳴って、ドアが開いた。
「はいはい、と。こんにちは」
「あ、こんにちは」
 きれいな人だなあ、と思った。
 銀色の髪と、理知的な青みがかったグリーンの目が特徴的な、いたって普通のヒューマンらしい人工生命体だった。右の白目が黒く染まっているのは、確か極度の弱視のせいだったか、と思い出しながら口を開く。出てきたときに駆けられた声音は柔らかく、思うよりも全然普通だった。
 おどかしやがって、と神妙な顔をして忠告してきた同期を若干恨みながら用件を口にする。だいたい、ちょっと論文について聞きに行くのに食い物も飲み物も出すかよ、とも思ったが、彼はどうにも律儀な性格らしかった。
 なるほどと頷いて、それなら長くなるだろうからと上がるように促される。チラリと見えた部屋はやや広く、二人部屋であることがうかがえた。同居人はいいのかと遠慮をしようとしたのだが、ルナはいいよいいよと押し切るように自分を部屋の中に押し込んでしまった。
「開発に使うんだろう? なら、疑問点も不明点もしっかり潰さなければならないね。作るのは確かにキミだけれど、真に武器に命を預けるのはキミではないのだから」
 いやはや、真の人格者とはこういう人のことを言うのではないか? 彼はルナの言葉に深く感銘を受けた。武器開発部にも当然様々な人間が所属しているが、サクラやサトル、チセといった、武器や道具を使うものにとって可能な限り良いものになるよう努力する類のメンバーと、自分が作りたいものが作れればそれでいいとする類のメンバーと、言われたことだけやれば良いという極めて受動的なメンバーとがいる。その間でふらつくメンバーだって非常に多い。彼は、どちらかと言えばサクラたちの姿勢に感銘を受けていたタイプだったので、ルナの言葉に深く深く同意した。
 なんだ、全く怖くないじゃないか。彼は人工生命体と言うだけで後ろめたく思っていた自分を深く恥じて――その直後、その判断を心底疑う羽目になった。
「何も無しに話すのも疲れるだろうし……ああ、キミ、コーヒーは飲むかな」
「飲みますけど、おかまいなく。聞きに来ている立場ですし」
「いいよ、いいよ。集中できずに議論がなあなあになるのは僕だって避けたいからね。はいどうぞ」
「ありがとうございま……」
 礼を言おうとして、途切れる。
 何だろうこの黒くてボコボコした何かは。
「今朝作られた物体エックスだよ。味はちょっと甘めで……あ、甘いものは苦手だったかな」
「い、いえ……甘いものは好きですが……その……」
 そういう問題では無い。
 なにこれ。これ本当に食べ物か? 彼は訝しんだ。
 ぼこぼこと音を立てて気泡を放出している黒い物体エックスは、とてもじゃないが食品と形容はしたくない。というか本当に食品かこれは。食べたら倒れそうだが、と顔を上げて、喉が引きつった。
「ひえ……」
「ほら、見た目はともかく味は普通だから」
 マジで言ってる?
「あ、あの、こっちは……」
「そっちはただのエスプレッソ。隣の袋は百年バーの粉末だから、お好みでどうぞ」
「百年バーの粉末」
「うん」
 はて、と首をかしげるルナを見たが、そこに悪意もからかいも無かった。どうあがいても善意百パーセントで差し出されたものらしい。
 マジで?
 彼は心底ドン引きした。いやエスプレッソの中に何も入っていないだけマシかも知れない。おなかいっぱいなので、という言い訳が立つ。
 しかし、と青年は目の前でぼこぼこと気泡を立てている何かとルナを見比べている。
(い、いづれぇ……めちゃくちゃ期待した目で見られてる……何、これルナさんが作ったってこと? マジで?)
 とかそんなことを考え出したあたりで同居人が帰ってきたらしく、ぴぴ、とロック解除の音が聞こえた。
「ただいまー……ってうわーっ!? 何!? なんでこれだしてるの!?」
 背の高い、緑色の三つ編みが特徴的な男が入ってくるなり悲鳴に似た声を上げた。彼は心底彼に同情し、そして安堵した。
 そうだよなあ。それ(物体エックス)、どうあがいても普通じゃ無いよなあ。
「あ、おかえり。彼、この間の論文で聞きたいことがあるって言うから上げちゃってたんだけど、大丈夫かな」
「いやそれはいいんだけど、何。何をどう思ってコレ(物体エックス)出そうと思ったの?」
「え? 味は普通だし、考え事するには甘いものが好まれるだろう? 僕はこっちの方が良いけど」
「うっそでしょ、まさかいつもの百年バーコーヒー出したの……? えっと、その、だ、大丈夫……? おなか壊してない?」
「あ、まだ食べてないので。後その粉末は別だったので……」
「ならよかった。コーヒーは美味しいだろうから安心してよ。こっちは僕が処理します。ごめんね」
 テキパキと黒い何かを片付ける男に、えー、と不満そうな声が上がった。なんで?
 そのあとなんだかんだちゃんと聞きたいことは聞けたし、あの緑髪の青年も軽くアドバイスしてくれ、彼はほくほく顔で帰って行くことが出来た。
 ――彼があの物体エックスの制作者の真相をしるのは、その翌日のことである。おしまい。

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