灰寺さん(@slowdown)ちのロアさんをお借りしてひとつ。
グロテスクだ、と思った。
「あら、どうかしたの?」
「いいや、別に」
「そ。ならいいわ……あら、あれも葉脈の子からお願いされていたやつね」
腕をぱっくりとあけたまま、紫の髪の女は軽やかに跳躍すると、木の枝の上に器用に着地した。そのまま、必要なサンプルを腕の収納部に放り込んでいく。
女の名を、尚、という。紫のくせ毛と緑の目が特徴的な人工生命体だ。
そして、任務の最中に命を落とした翔をベースに作られた、一種の生き返りとも言える存在でもある。
そよそよと風が泳いでいる。草木は脳天気にゆらゆらと揺れて、こちらの気など知りもしない。警戒するように耳を揺らすフジの背を軽く撫でてやれば、気遣うように尾を揺らした。
――人工生命体、という存在は、笑えるほどにグロテスクだ。そういう思想がサイハテには確かに存在していて、確かにそうかも知れない、とこの紫の女を見ているとよく思うようになった。
「よいしょーっと。はい、お終いね。次はどこだったかしら。わたし、逃げ足には自信があるから、偵察任務にも一応耐えうるわよ」
「ああ、そういやそういう話だったな。しっかし、ひでえ収納部だ。他に何か無かったのかよ、それ」
緑色の目が楽しげに細められて、くすくすと柔らかな声が空気を震わせた。外の空気は湿っぽい。もうそろそろ雨が降るかもしれなかった。
ロアの言葉の何かがおかしかったのか、尚は柔らかに微笑んで、そうね、と肯定する。
「でもそっちの方が合理的じゃない。大きな荷物を背負って死ぬなんて、ごめんだわ、わたし」
「……それもそうだ。身一つで飛び回れるメリットの方がデカいな、そりゃ」
「うふふ、そうでしょう。貴方と一緒よ。適材適所というやつね。わたし、逃げ足には自信がありますから、ほら、偵察よりは探索の方が向いているの」
勇敢でも無いし、使命感が強いわけでも無い。ロアのような特異性があるわけでも無い、ただただ生存本能が強すぎる人工生命体である彼女には探索任務がお似合いだ、ということらしい。
それはそうかも知れない。翔の任務は情報を持ち帰ることだが、彼女のような性質は偵察にはいささか不向きだ。偵察任務に従事する翔は、しばしば危険地帯と分かって踏み込む必要が発生する場合がある。
そうなったとき、任務放棄をしかねない性質であると本部は判断したのだろう。
腕部をぱっくりと開いて、中のサンプルを確認する女を一瞥して軽く息を吐いた。
翔も、陽炎も、あるいは葉脈でさえも。
この場所では生と死はあまりに近すぎた。
だから今のロアがいる。
「あら、あら、考え事? 良くないわよ、特に地上ではね。わたし、貴方が危険な目に遭ったら一目散に逃げちゃうもの」
「……是非ともそうしてくれ。目の前で死なれるよりはよっぽどマシだ」
緑色の目が隈の濃いロアの両目をくっきりと映して、ふうん、とやはり柔らかな笑みを浮かべて尚はロアの隣に並び立つ。
足音は無い。聖者に気取られるからだ。聖者に五感があるのかどうかはともかく、そういった音、視界、匂い、そういったものに反応するものがいるもの確かだった。だから、習慣として翔は足音を殺すし、可能な限り自分の存在を周囲に紛れ込ませることを徹底する。
この女も例外では無い。組むのは一度目では無かったが、さて、ここまで口数の多いたぐいだったか、と思い出したあたりで、間抜けなあくびを聞いて肩の力が抜けた。
「ごめんなさいね。昨日、お間抜けさんのところで遊んでたものだから」
「間抜け?」
「緑の三つ編み。ふわふわの」
「ああ、あのつなぎの……」
妹を忘れた薄情者。喉元までせり上がった言葉を飲み込んで、視線を遠くへとそらす。鬱蒼とした森が広がっていた。視界は悪いが、それは聖者とて同じだろう。
「ふふ、ふふ」
さり、ざり、と土を踏み抜く音を聞く。緑の中に溶け込む紫が気味悪く思えて、ロアは眉間にしわを寄せた。対照的に、尚は酷くごきげんだ。
「あの子、嫌いでしょう」
「ああ」
「あはは! 否定しないのね」
口元を手で覆って、くすくすと楽しげに笑う様は年若い少女のようだった。その辺を、サイハテの下層を駆け回る、ただの子供のような仕草が呆れるほどにアンバランスだ。
「ええ、そうね。貴方はきっと嫌いでしょう。あの間抜け、忘れっぽいから」
「……ああ、そうだな。よくもまあ、忘れられてそんな賑やかに笑えるもんだ」
「あら、忘れることも悪いことばかりじゃ無いわよ。そんなの、貴方もよおく分かっているじゃない?」
帰還への道を慎重に選びながら言葉を交わす。
嫌な感覚だ、と直感的に思う。
悪意は無い。敵意も無い。露悪的な意味合いは無いくせに、ロアの脆い部分に触れてこようと手を伸ばされているよう。
温度の無い緑色の目が向けられる。無機質なくせに好奇心の光がゆらゆらと揺れていた。新緑に紛れてなお、そのきらめきはうざったるいほどにまばゆかった。
「ふふふ、嬉しいわ、こうしてちゃんとお話しできて。勝手に親近感があったのよ」
「は? どこに」
聞かなければ良いものを、ついつい聞き返してしまったものだから、ゆるりと緑色の目が古びた金貨の色にも似た目を映して見せた。
機械特有の、温度の無い目。あるいは無機質な現象だけを表すガラス玉のようなそれ。
「あら、だって、おそろいじゃない、わたしたち」
そんなことをほざいて、尚はくすくすと笑みを浮かべている。
「死者を悼むもの。忘れ得ないもの」
女の声が、湿った土の上にごろりと落ちた。
鮮烈な赤というものはない。人体から湧き出る汚らしいペンキというものは、存外黒っぽいのだ。
「そうやって生まれたのがわたしたち。ああ、ねえ、『作られた』のだっておんなじだわ」
咄嗟に息を飲み込んだ。動揺を悟られまいと表情を強ばらせて、紫の女の相貌を見る。僅かに喜色ばんだ顔だった。
そこに変わらず悪意も敵意も無い。純粋な好奇心と、それからいくばくかの好意にも似た感情が浮かんでいる。
「ふふ、類は友を呼ぶという古い言葉が本当なら、きっとわたしたち良いお友達になれるとは思わない?」
そう、作られた命は楽しそうに笑って言った。
鮮烈な赤というものは存外記憶には無い。
薄汚れた、黒っぽいペンキは覚えている。よく、よく、覚えている。これ以上無いほどに。
この心が産声を上げたとき、その強烈な臭いも色も、真っ先に飛び込んできたものだからだ。
「……は、想像の五億倍悪趣味だな、アンタ。どこをどう解釈したらそうなれるって? 忘れ去られて、無かったことにされて、よくもまあ、笑っていられる」
ロアの思う『アイツ』は、少なくとも忘れ得ない。だからこのロアが生まれたのだ。死者を悼む心が在って、誰かを慕える優しい心が在って、だから悲鳴を上げて、耐えきれないと、このロアが生まれ出た。
尚の言う「類は友を呼ぶ」とはほど遠い。
そのはずだ。
女の顔はずっと薄く笑みを浮かべている。それがどうにも居心地が悪くて、追撃を放とうとk土を開いたところで、あまりにも想定外な言葉が飛んできた。
「うーん、思っていた以上の敵意。おかしいわね、お友達になれると思ったのだけれど」
きょとん、と目を瞬かせながら、心底不思議そうな声が転がる。ころころ、と無邪気に回っていった。
「……おい、まさか。まさかとは思うが、アンタ、マジで友達作るつもりであの言葉吐いたのか? は? 嘘だろ?」
「やーね、本当よ。おっかしいわね、初等部の教科書を参考にしたのに」
そんな物騒な教科書があってたまるか、と履き捨てかけてからはたと気付く。
ずっと覚えて違和感はまさかとは思うがこれか。煽られっぱなしだと思っていたが、妙に悪意も敵意も無い。純然たる好奇心と僅かな好意だけが向けられたその言葉は、なるほど、友達二鳴りたくてかけられた言葉だと言えばまだ納得が――
「いやいかねえよな」
「何が?」
「……念のため聞くんだが。アンタ、それ、どういう意図で言ったんだ」
はて、と尚は首をかしげながらさも当然のように口を開く。
曰く、友達になるには共感が必要なんじゃ無いのかしら、と。
「でも駄目ねー。やっぱり人は人の記憶を頼った方が良かったわ」
「人、の?」
「ええ。わたし、人工生命体ですけれど、ベースになった子の脳は無事だったのよ。だから、この子の記憶も感情も、全部分かるの。もちろん死んだときのこともね」
さも当然のように口にして、緩やかに新緑色の目を細めて尚は笑う。
「ええ、ですから、そうね。もしも『置いていく側』の心を知りたいなら、どうぞ頼っていただければ嬉しいわ。ねえ、いつか『置いていく貴方』?」
そんな悪趣味すぎる言葉さえ、善意から吐かれたものだと理解できてしまって、しえてしまって、その意図さえも分かってしまえて――
「んな日は来ねえよ」
――そう、悪態をついて、まだ青々とした葉を踏みつけた。


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