『いとま』 – 現パロIF3

現代転生IF3話目。お泊まりする話。次で同棲まで行きたい。


 こっち、と案内された方角にそびえていたマンションを見上げて、それから周囲に建っている賃貸へ目を向けた。大学にほど近い位置にある住宅街は、何棟か建っているマンションを除いては基本的に賃貸らしかった。それでもこのあたりの賃貸はそれなりにしたはずだ。大学にほど近いのもあるし、駅にも近い上、治安もいいからだ。
「あの、龍童さん」
「ん?」
「……下宿してるって言ってませんでしたっけ」
「そうだけど」
 何を今更、とでも言いたげな目を向けられたが、それを言いたいのはこちらである。案内されて入ろうとした建物はどう見てもマンションだ。このあたりのマンションなど当然原田の下宿先の選択肢に入らないから、果たして単身者向けなのかファミリー向けなのかは分からないのだが、いずれにせよ普通の学生の下宿先ではないだろう。
 そういう原田の動揺をくみ取ったのか、ようやく龍童が納得したように頷いて、ちょっとな、とごまかすように口にした。
「元々は、親も住む予定……っていうか。そういう体裁で買った、んだと思う」
「体裁、すか」
「……さあ、あの人達の考えは俺もよくわかんないし。なんて言うか、その」
 酷く言いづらそうな様子に、気を遣われているのだな、とスーパーの袋を持ち直した。
 原田はどう見たって苦学生だ。両親と疎遠になったのは原田の自業自得だが、学費から生活費まで自力でまかなう準備をしつつ大学に通う、という姿は一般にも苦労している部類に映る。
 対して、龍童は恐らく何かしらの確執か理由があるのだろうが、明らかに単身にしては広すぎるマンションに住んでいる。恐らく生活費にも不便していない。こちらもやはり、どう見たって恵まれている学生だ。
「着きましたね。何号室ですか」
「え、ああ……こっち」
 ちん、と音がしてエレベーターが止まる。そこまで上の階では無い。真ん中あたりの、やや端の方の部屋だ。慣れた様子で鍵を開けてもらう。
 龍童は話題を変えたことに安堵した様子だった。自分の情報を開示することよりも、おそらくは原田よりも余程恵まれているはずの環境をひけらかすことになることに罪悪感を覚えているのだろう。
 難儀なままだ、と内心で苦笑する。だから苦労性なのだ、とも思って、安堵している。
「ひ……ろいすね。いやすいません、つい」
「俺もそうだと思うよ。元々一人暮らし向けじゃないし、ここ」
「ああ、親も住む予定だったって言ってましたもんね。これ、冷蔵庫に入れちまっていいですか?」
 言ってから、蒸し返してしまったと慌てて繕うに続けた。広めのLDKは言わずもがな、部屋が三つあるように見えるのも気のせいでは無いだろう。元々一人暮らし向きの物件では無いというのは本当らしい。
 冷蔵庫を発見したので、開ける。一瞬龍童が止めるように手を伸ばしたが、間に合わないと判断したのか小さく息を吐いて目を逸らした。
 冷蔵庫の扉を開けて、一回閉めた。もう一度開ける。ゆっくりと振り返れば、気まずそうに目を逸らした龍童が目に入った。
「あの、マジで何も無いんすけど」
「水は常温で良くて……料理もそんなしないし……レンジと冷食があればなんとかなるし……」
「うおっ冷凍庫パンパンじゃないですか。あっ、いえ責めてるとかでは無く。単に驚いただけ何で」
「追い打ちを辞めろ」
「あと『そんなに料理しない』っつーか、『全く料理しない』じゃないすか」
「追い打ち辞めろって言ってんだろ」
 後ろめたさはあるらしい。原田は自炊派だ。飲食系のバイトもしているので、まかないで済ませることも少なくない。貧乏学生に冷食三昧はいささかコストが高いのである。時間も無いが、それ以上に金が無い。
 なるほど、確かに色々と気まずそうなわけだ、と納得する。金銭感覚の差はほとんどの場合で交友においては致命的だろう。そういう話は、それなりに聞いている。
「じゃあ適当に入れときますね。えっと、荷物とかってその辺に置いちまっていいですか」
「ああ、そこのラックに置いておいてくれ。ノート類は今持ってくるから」
「うす。あざす」
 そう言って龍童は三つあるうちのドアの一つを開けてその中へ入っていった。
 一人取り残されて、一人暮らしにしては広すぎる部屋の中央に置かれたソファーに腰をかける。ちょうどいい高さのテーブル。広すぎる居宅と、時折にじませる影のある表情。それらを思い返しては、何故、という疑問が浮かんでは消えた。
 望んだ生を望んだように授けられても、必ずしも幸福とは限らないのだと突きつけられているようだった。
 自分のことはいいのだ、と思っている。むしろ今世は幸福な方だ。わだかまりも無く仲間達と笑って関係を築けることのなんと幸福なことだろう。昔のことを覚えている、というのも一員にあることも自覚していた。
 だから、余計にやるせなさが募る。覚えていても地獄、覚えていなくてもどこか満たされなさそうな彼を見ているのは、とても、報われないことだ、と思った。
「持ってきた」
「ありがとうございます。助かります。本当に。マジで」
「……そっか」
 テキスト類をどさりとテーブルに置いた龍童に本気で礼を言ったつもりだったが、当人には引かれてしまった。

 もうあまり覚えていないんだ、とマスターは言った。他愛も無い話だったように思う。いつ離したかも朧気だ。ただそういう会話があったことだけが残っている。
「仲は多分悪くなかったんだ。普通の家だったよ」
「へえ、そうなんですね。俺んところはまあ、ご存じの通りなんで」
「あの時代はなぁ。両極端ではあったか」
 ランサーは密偵の出だったから、そのように育てられた。情はあったのかもしれないが、少なくとも原田はそういった血族へ向けられる状というものに関してはあまり馴染みが無かった。
 マスターは、ある意味ではランサーと酷く似ている生い立ちをしている。死に損ねている、という点も含めて。それでも時折感じる感覚の違いは、きっとそういう所に由来するのだろう。
 当たり前に注がれるべき情を注がれてきたか注がれなかったか、とか。多分そういうものだ。

 夕食を食べきってから、食器を洗っている原田の方を見やった。久しぶりにまともな料理を食べた気がする、と満腹感で微妙に眠たくなった目をこすりながらあくびをした。窓のサッシの影は長く伸びている。この時間までカーテンを開けているのも珍しいかもな、とやっとのことで立ち上がると、カーテンを閉めた。隙間から随分と光量の落ちた日の光が漏れている。
「洗剤が固まってんじゃ無いかと思いましたけど、杞憂でしたね」
「流石にそこまで生活能力は終わってないが」
「はは、すんません」
 失礼な奴め、とじろりと睨んだが、悲しいかな生活能力が終わっているのは事実である。そもそも生活能力があれば冷凍庫を冷食でぱんぱんにしないのだ。
 蛇口が閉められる。その様を、何となく、見覚えがあるものだ、と眺めていた。奇妙な話である。龍童と原田が知り合ったのは大学に入ってからで、それまでは当然つながりは無い。家に上げたのも初めてなのだから、こういう姿を見たことがあるはずは無いのだ。
(どこか――見覚えがある、ような。ずっと前から仲のいい、誰か、だったみたいな――……)
 それじゃあ、続きを失礼します、と原田が除けられたテキストを開く。そこで思考が中断されて、自分も残りの課題を片付けなければとノートPCを開いた。いつもはリビングでは無く個室で課題類は片付けているから、何となく落ち着かなかった。
 龍童はあまり誰かと深い関係性を築いたことがない。当人があまり人と関わらないように動いているというのもあり、学内にも知人はいるが友人はいないという絶妙っぷりだ。
 だから、自分でもとても珍しいことだと思う。こうして誰かを家に招くほど関係を継続するというのは、とても。
 原田と話しているのは楽だ、と思う。それと同じくらいに罪悪感がある。自分はきっと恵まれていて、原田は恐らくあまり恵まれていない部類で、そういう思考を走らせている己にも嫌気がさす。
 気を遣わせているのでは無いか、という負い目があるから、何かにつけて自分の持ち物を崩して渡そうとしている。そういう自覚があった。多分、相手はそんなことは考えていないと分かっているのに、だ。
 結局のところ、己は酷く臆病で、傲慢な――嫌な人間なのだと、そう信じて疑わない。
「……どうかしました?」
 原田が表情の読めない目でこちらを見ている。ああ、と頷いて、悩んでいただけ、と誤魔化した。
「物理の課題って頭痛くなりそうですもんね」
「やるか? 量子力学の課題」
「うげっ……なんすかそれ。いややっぱいいです、テキスト見せつけないで下さい。見てるだけで熱出そうなんで」
「体力お化けの弱点見たりだな」
「なんすかそれ」
 軽く笑って、そこでやっと肩の力が抜けた。レポートの打ち込み作業に戻りながら、罪悪感に埋もれて見ない振りをしていた感情が輪郭を取り戻していた。
 この友人と居ると楽なのだ、と思えている。罪悪感を覚えながら、それでも離れない程度には、居心地が良いのだ。
「まあ生理学やってんならバイオメカニクスぐらいはやるんじゃないか、三年くらいで」
 選んでいるテキストへ目を向けてそんなことを言う。体育学部の知人はいないから、そういうこともやるのか、と少々面白く思った。
 原田の方へ目を向ければ、死ぬほど嫌そうな顔をしていたものだから、思わず吹き出してしまった。笑わないでくださいよ、と文句を言われたがおかしいものはおかしいのだ。
「実技はなんもしなくても優取れるんですけどね……座学はこう、つい寝ちまって」
「まあ教授によっては眠いのは分かるが」
「そうですよね」
「目を輝かせ……輝かせるな」
 別に輝いてはいなかった。声は間違いなく弾んでいたが。読みづらい表情ではあるが、表情はそれなりに豊かなのだな、と思った。
 PCに再度目を向けながら、こんなに家で喋ったことがあっただろうか、と手を動かす。俯瞰している自分が、レポートに使ったあまりの部分でゆるゆると思考を巡らせている。いつ中断してもいいもので、忘れてしまっても良いような胴でもいい思考だった。
 学ぶことは好きだった。考えることも嫌いでは無かった。身体を動かすのも、面倒だという気持ちはあるが別に嫌いでは無い。ただ、どうにも人と話すことだけは苦手だった。人が嫌いというわけでは無く、関係を築き上げるのが苦手だったのだろう。
 極度の無関心の最中に置かれていた龍童は、表面上の社交性こそ身につけられど、それ以上は分からないままだった。友人と呼べるほど仲が良くなり始めると、自ずから離れてしまう。
 希薄なつながりしか無かったから、一度でも名前のついた関係を手にしてしまえば、きっと手放せなくなってしまう、と思った。手放せたととしても、その後が怖かった。だからずっとこの広い部屋で一人のままだ。
 そこに、初めて他人を入れた、と今更のように気がついた。何でも良いか、と気付いたことを棚に上げた。再度龍童が渡したノートとテキストとにらめっこを開始していた原田を視界に納めて、形容しがたい既視感に蓋をする。理由の無いそれには慣れていた。
 ただ、それが他者に対して覚えるというのが初めてなだけで。単に特別自分にとって相性が良いだけなのかも知れなかった。いずれにせよ、今は知る術もないし、無理に理由を探る必要も無いことだ。
 そうして互いが無言のまましばらく作業を続けていると、遠い雷鳴に顔をそろってあげた。カーテンを開けて外の様子を見れば、遠方でぴかぴかと空が瞬いているのが見えた。すっかり日は暮れて、雷の光がよく見えた。気がつけば遅い時間だったらしい
「やばそう……すかね」
「かもな。そろそろ帰るか?」
「……そうですね、家は近いんでとっとと退散します。時間も時間ですし……いやまだ写せてないんでまた後で写させてもらえると嬉しいんですけど……」
「それはいいから」
 夏の夕暮れ時、今年は急な雨も多い。雷が見えたと言うことは遅かれ早かれ天気は崩れるだろう。スマホで天気予報アプリを開いて、雷レーダーを開いた。
「駄目そう」
「マジすか……じゃあ帰らせてもらいますね。お遅くまですいません」
「いいよ。んなことよりとっとと帰った方がいいだろ。ぱらつき始めたぞ」
「やべ」
 慌てて原田が荷物を詰め込んでいるのを尻目に、雷レーダーと空模様を交互に見やる。窓ガラスに着いた水滴が徐々に増えていく様を、これはそこそこ降りそうだ、と眺めて――みるみるうちに音を大きくしていった雨音にそっとカーテンを閉じた。
「鞄の中無事に行けますかね、これ」
「駄目だと思う。もうすこし雨宿りしてから……これ夜中まで降るな……」
「……ビニール袋とかってもらえたりします? 後で返すんで」
 布製のリュックを開いて、諦めた目で尋ねられた。外はあっという間に土砂降りで、視界もままならないほどに降り注いでいる。天気予報アプリには赤い字で大雨警報と表示されていた。なんなら雷鳴の間隔も狭まって、音もうるさくなっている。
 一応、なんとか帰るつもりではあるらしい。そういうところは何とも律儀だとは思いつつ、今後数時間の短期天気予報と空模様を見比べて、今外に出るのは現実的じゃ無いなあ、と思った。そもそも家に招いたのはこちらなのだから、とその提案はあまりにも自然に口から滑り落ちた。
「泊まってくか、いっそのこと」
 言ってから、自分でも意外なほどに落ち着いていた。もっと焦ったり、パニックになったりするものだと思っていたが、存外そうでもないらしい。
 原田は驚いたように目を丸くして、それから窓の外を見ると、いいですか、と期待するように確認した。それに頷けば、それじゃあ、と浮かせてた腰を下ろす。
「すいません、ぶっちゃけ助かります」
「雷も酷いし、どうせ遅い時間だしな。招いたのも俺なんだし」
 どうせ部屋も余っているから、と自室の隣を指した。形だけ置かれたベットが設置された空き部屋は、気が向いたときに掃除をするくらいでしか入らない。直近の掃除は暑くなり始める前なので、ほこりっぽいかもな、と今更思い至った。
 がらがらと物騒な音が窓の外で鳴り響いている。夕立とするには遅い時間で、開いた天気アプリで見た雨雲レーダーによれば、まだ雨は止みそうに無かった。
 リビングの端に置いてあるウェットモップを探して、蓋を開ける。幸いまだ乾ききっては居なかった。
「ちょっと掃除してくる。そこで残り写しててくれ」
「俺もやります。泊めてもらうのに座ってるだけってのも」
「期末考査の赤点は回避できそうか?」
「それはそれなんで」
「いいから写してろ」
「……はい。何か手伝えることがあったら呼んでくださいよ」
 わかったわかったと追い払うように手首を返す。原田はまだ気を遣うようにこちらを見ていたが、そのまま龍童が部屋の中に姿を消すと、諦めたようにまたペンを手に取った。
 そうして、ほとんど開けていない部屋の中に入る。電気をつければ、微妙にほこりっぽい空気感に顔をしかめた。換気扇は回しっぱなしなはずだが、それでも締め切ったままというのは良くはないらしい。
 ベッドはある。テーブルも椅子も、棚も。最低限の家具がそこには在った。使われる予定のないものが。三つ目の部屋はすっからかんで、何故この部屋には家具が着いているのかは龍童は知らなかった。両親には二人目を作る予定があって、龍童とまとめてここに置いておく予定だったのかも知れない。結局は龍童令しか産まれなかったから、放置されたとか――そういうグロテスクなことを考えて、それらを忘れるようにモップを床に着けた。あの人達はほぼ他人で、龍童にも何を考えているのかは分からなかった。
 フローリングを軽く拭いて、ついでに埃取りでほとんど使われていない机や椅子、棚の埃を取っていく。
 一度も使われていない部屋だ。多少古っぽさが残るが、相応にきれいなまま。それに、何とも思わないものだ、と龍童は汚れたモップを剥がして手の中で丸めた。
「もう終わったんですか」
「使ってない部屋だったからな。元々きれいなんだ。埃を取ったくらいで……ドアは換気であけとくから」
 そういうもんですか、と原田は飽きたように開かれた部屋の方を見つめていた。別にもう入ってもらっても構わないが、と言ったが、もうちょっと片付けてからにします、と断られた。
 テーブルの上に置き去りのPCへ目を向ける。少ししか進んでいないレポートを保存して閉じた。続きは後でやればいい。期日まではまだ余裕があった。存外集中できたものだ、と思う。こんなめったに無いようなイベントがあったものだから、きっと何も手に着かないだろうと思っていたのだ。存外そうでは無いらしい。
「風呂は?」
「あー……俺はいつもシャワーだけなんで、お気遣い無く。最悪明日帰ってから入るんで」
「俺が気にするから入れ」
「うす」
 気遣いの気配を察知して退路を塞ぐようにぴしゃりと口にすれば、咄嗟に原田が背筋を伸ばして頷いた。体育会系だ、と面白く思ったのは内緒である。
 使われていない部屋に灯りがともっている。今日は使われる部屋だ。風呂の電源を入れて湯を張るべくスイッチを入れながら、本当に奇妙なことだと息を吐いた。
 慣れないことがずっと起きているというのに、不思議と疲れは感じなかった。ずっと空虚だった心の隙間が満たされているようにも思えて、それがかえって恐ろしい、と感じている。所詮は大学の後輩だ。それ以上にもなるまい、と冷静な自分が嘲笑している。
 ずっと前から――ずっとずっと、自分が認識しているよりも、ずっと前から、そのように過ごしてきただろう、とうそぶく自分もいた。そんなはずは断じてないはずなのに、そうなのかもしれない、と思ってしまうほどには居心地が良いと感じていた。
 少し考えて、辞める。リビングに戻れば、眉間にしわを寄せてテキストと古いノートをにらみつけている原田が目に入って、思わず苦笑を漏らした。
「どこで詰まってるんだ」
「全部……すかね……」
「ここ高校範囲なんだけど……」
 はあ、と息を吐いて向かいに座る。PCは横に置いて、ここは、とかみ砕いて説明してやる。もう少しだけ、夜は更けていきそうだった。

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