全部終わった後のIFの話。原田が受肉したIF。本当にやりたい放題すぎる。
規則正しい寝息の音を聞く。そうして何時間か過ごしていた。差し込む日差しは温かいが、窓ガラスの外の空気は未だに冷たい。電気ストープが積もった埃を焼いているのか妙な臭いを出していたが、それも随分と収まった。
寝ている当人の傷は、治る気配はない。治ってはいる。ただ、聖杯戦争の只中のような超常じみた回復力は見る影も無かった。だから、こうしてずっと寝ている。時折、床ずれにならないように、何となく身体を横にさせている。そのたびに、ううん、と不機嫌そうな声が漏れていた。
聖杯戦争は終結した。幕引きは実にあっさりと。汚染した聖杯からあふれた災禍の種を片っ端から殴っている間に、セイバーとケイが聖杯を封じて終わった。
一瞬だけ、あふれた災禍の量がどばりと増えていたので、退去したのはセイバーが先だったのだろう。そして、そのままケイが聖杯を封じた。当初の作戦通り。道中、各自でどんなことがあったのかは知らない。知る必要も無かった。
願いが叶うというのはまやかしなのだ、と龍童は語った。ただ、無色で無いにしても、聖杯が魔力の塊であることに変わりは無い。
なので、とランサーは己の手のひらを見た。あの日からずっと現界している。むやみに霊体化と現界を繰り返すのもあまり魔力効率がよろしくないため現界を保っている。それに加えて、あの時から――己が消えると思ったのに消えなかった時から――ランサーは、霊体化が出来なかった。霊体化しようと思っても出来ないのだ。とはいえ、今はマスターである龍童が寝込んでいる状態なので霊体化する気はない。当面の間は問題にはならないだろう。
魔力パスはきちんとつながっている。龍童の息が乱れることも無い。一日の内、一度か二度くらいは目を覚まして、適当に病人食を胃に入れてはすぐに寝ている。その繰り返しだった。
(……俺じゃなくて)
奇跡というものをあの聖杯が与えられたのであれば、死人であるランサーでは無く、今を生きる人類である龍童に与えられるべきだ、と思っていた。
あの時、聖杯戦争が終わったのだと確信したときに、彼は体力も精魂もつきて地面に倒れて天を仰いでいた。
そうして、それから、聞いたことが無いほどの屈託の無い笑い声を聞いて、腑に落ちた。
今度も死ねなかったな、と傷口を押さえながらげらげらと笑っていた。
似ている、と思っている。多分、そういう縁で呼ばれていた。死ぬべき時に死ねなかったランサーと、死を望みながらも死ぬことが出来なかったマスター。そういう縁。あるいは、流れに流されることしか出来なかったような、そういう意識を持つ者同士の縁だろうか。
次に呼ばれるとき、もしも主が己にとって好ましいものであれば、今度こそは好きなように振る舞おうと思っていた。果たしてその望みは叶ったわけだが、それはもしかしたら龍童も同じだったのかもしれなかった。
早くを目を覚まさないだろうか、と仰向けで寝続けている主を見る。外は関東特有のからっ風が吹いていて、枯れ枝が大きく揺れていた。電気ストーブは音を立てずにただ橙色の光で小さな室内を照らしている。
ごろりと龍童が寝返りを打ったのに気がついて顔を上げた。回復しているのは事実なのだろう。ほとんどの擦り傷はとっくに塞がっていて、かさぶたが剥けないように手当がされているだけだった。まあ、腹の傷だけは深かったので未だに包帯とガーゼを取り替える羽目になっているが。
「……なんだ、出かけてても、いいのに」
「その状態のマスターを置いて出かけるほど不用心に見えますか」
「あー……そういう意味じゃ、なくて……」
目は開いてこそいるが半開きだ。まだ回復しきってはいないが、目が覚めてしまったので起きていると言った様子だった。
「暇だろ、この家……なんもないし」
眠そうな声だった。ランサーは、そうでもないですよ、と返して、それからすぐ側の棚に目を向けた。背の焼けた本がぎっしりと詰まっている。長らくシャッターも閉めずに方って置かれていたのだろう。ここに来たときもシャッターは開いていて、部屋の中は埃も積もっていた。
「本……古いのだから……」
「俺にとっては新しいんで」
「……それも、そうか……」
大きなあくびに語尾がふやける。言葉はそれ以上続けられることは無く、代わりに小さな寝息だけが聞こえた。
酷く穏やかな時間だった。時間だけが夢源に会って、静かに寝ているマスターを視界に納めながら、余計なことばかり考えている。時折目を覚ましては、先ほどのようにほんの少しだけ会話をして、そしてまた寝る。それの繰り返し。
ケイがここに来ることは無い。聖杯戦争中に使っていた家は空けたままだから、ケイはきっとまだあそこに居るだろう。あるいは、鼎邸に戻っているかもしれなかった。気にかかりはするが、それだけだ。
吹き抜ける風の音を聞く。狭苦しいところを通り抜けてくるそれは、びゅうびゅうとやかましい音を立てていて、間際のそれとはあまりに違う。
熱を放つ光の帯と、傷を癒やすために寝ている主を見て、それから、ようやく腑に落ちる。
(ああ――)
そして奇跡はこのように。
地味で、無価値で、無意味で、必要の無いことで、されど、確かに望んでいたように。天秤は、確かにそのように傾いたのだった。
*
そこそこ派手な骨の音に顔をしかめた。確かに随分と寝ていた自覚はあるが、それにしてもここまで身体が硬くなるとは思ってもいなかった。年だろうか。
「年って言うほど肉体は年食ってないでしょ、マスターは」
「うるさいな」
「もう起きて平気なんです。傷はほぼ完治してますけど、血とか疲労とか、そういうのはまだなんじゃないですか」
一応はね、と返事をする。立ち上がれはするが、それでもふらつく。疲労に伴う酷い倦怠感は未だに健在で、貧血気味であるせいで気分も正直良くない。ただ、意識もはっきりし始めてきた以上、寝っぱなしと言うのもかえって疲れてしまう。
魔術回路に関しても、あの日応急処置に治療の魔術を使用して以降は沈黙させていた。それを久しぶりに稼働させて、やめる。
奇妙な違和感に首をかしげて、それからもう一度回路に魔力を通す。問題なく動きはする。恐らく魔術も使える。ほぼほぼ無尽蔵に生産されていた魔力は明らかに量を減らしているが、まあそんなものだろう。応急処置をしなければならかったとはそういうことだ。
(ランサーとのパスは……妙に薄いけど、ある。回路も動く。けど、なんつーか)
別物だ、と思った。そう感じた理由までは分からないが、とにかく直感的にそう思ったのだ。それ以上は分からない。
ただ――ただ、何となく、ではあるが。悪いことでは無い、とも思っていた。
死んだ、と思った。
あの日、あの時、あふれ出る災禍を食い止めながら、それでも心のどこかでは無意味だと嘲っていた。そんなことは知っていた。それでも動かないという選択は取れなかった。己の罪悪感を軽くするために動いていただけ。そのように望まれたから、結局『龍童令』という人間は何も為せないように出来ていた。だから、あの時だって、きっと自分がやらなければ別の誰かがやっていた。メアリーとか、ルドルフとか、そういう今を生きる人類が、そういう役目を背負っていた。代替出来る人間がいたから、あの日のあの行動は結果を伴ったのだ、と今でも信じて疑わない。
そうして、全てが終わった後に、ふと傷の治りがいつもよりも遅いことに気がついた。基本的に龍童の回復力は一般人のそれと変わりない。観測者が潰れるのは困るのか、致命傷だけは致命傷では無くなる程度に回復する。
あの日は、と龍童は腹に手を当てた。あふれ出る災禍。汚染された人理の影の群れ。捌ききれない攻勢を、死ににくいという特性一つで押し返した。首はつながっていたから、首の攻撃はギリギリ避けていたはずだ。ただ、胴は色々と喰らっていた記憶がある。内臓まで達していた傷もあっただろう。
だから、全部が終わった後、疲れ果てて地面に倒れて、咄嗟に――そう、咄嗟に。致命傷を致命傷で無くするために、治療の魔術を使うように魔術回路に空に近い魔力を通していた。
竜の炉心とも言える魔力生産炉は沈黙していた。
致命傷はすぐには治らなかった。
それらが指し示すところは、つまり、龍童が長年望んでいたことの訪れだった。
だというのに。
「まだ痛みますか。やっぱり、ああいうでかい怪我ってなると病院なんですかね。現代だと……救急車呼びますか」
「要らん。痛みはないし、病院行ったところでどう説明するつもりだよ。流石に病院まるっと暗示かけるとか、そういう力業はもう無理だ」
「……不調ではあるんですね」
「あー……そういうわけじゃ、無い、と思う」
言い回しが引っかかったらしく、ランサーの声が一段落ちた。気にしてくれるものだ、と内心で少しだけ嬉しく思う。
「俺が今を生きる人類で在りながら、現在を変える権利が無い、みたいな話はしただろ」
口を開く。言葉を紡ぐ。面と向かってこの体質の話をするのは初めてかもしれないな、と自分で自分に呆れていた。何せ、聖杯戦争が終わるその寸前まで、自分は確かにこの生に絶望していたのだ。投げやりにそういう話をすることはあっても、こうしてゆっくりと話をするというのはなかったし、多分機会があったとしても出来なかった。
「誰が必要としたかは知らないけど、俺はただの観測機みたいなもので、観測機が壊れるのは困るから、多分長命で頑丈だった」
「胸クソ悪い話ですよね」
「本当にそう」
思わず吹き出しながら、それで、と続ける。あまりにも吐き捨てるようにランサーが言うものだから、一周回って面白くなってしまった。
「魔力生産炉はほぼ無尽蔵に魔力を生産するし、致命傷を受ければ致命傷で無くなる程度に急速再生する。一種の化物みたいな性能が、あの時からさっぱり無くなってるんだと思うんだ。寿命はまだ分からないけど」
ただ、多分もうそこまで長くは無い。今までのように、老いることも無く何十年と生き長らえることは、もうない。そういう確信めいたものだけがあった。
ランサーはじっとこちらを見つめている。黒い目は何かを見定めるように龍童へ向けられていた。この、何を考えているのかわかりにくい表情のなさにも随分と慣れたものだ。今では、全てとは流石に言えないが、それなりに分かるようにはなってきた。
そこまで長い時間一緒に居たわけでも無いというのに、不思議なものだ。
「……終わったんだな」
「そうですね。とっくに終わりましたよ。戦争も、しがらみも。全部過去の話です」
声は驚くほど柔らかかった。傷はもう痛まない。あれほどあった無尽蔵の魔力は魔術師として並より少し上程度の生産量しか無い。二百年にわたって培われた経験だけは健在だが、逆に言えば龍童に残ったのはそれだけだ。
「それは、お前のこと? それとも、俺のことか?」
「さあ。どっちも、じゃないですか」
「どっちもか。 ……そうかもね」
だから、ここから先はお好きなように。
涙は出なくて、落胆は無くて、希望と呼べるかは分からないが、ただ何となく気分はいい。
「もう少しここで休んでたいから、買い物にでも行くか。ランサー、荷物持ち出来るか」
「うす。何買いに行くんですか」
「……色々かな。車があればなあ」
適当な会話。久しぶりの日常。隣にサーヴァントが居るこの状況を『日常』と呼んで良いのかはさておくとして、久しぶりの何の心労も無い時間であることは確かだった。
冬の風は冷たく、日差しだけは温かい。玄関の鍵を開ける。コンクリートの地面に靴越しに触れて、はじめて地に足が着いたような心地がした。

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